5月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉔ 風邪除け詩集
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
「別嬢」という詩の同人誌がある。播磨在住の詩人を中心にしたもの。
創刊は1990年。最新号は105号である。最近伝統ある詩の同人誌が次々と廃刊になっているが「別嬢」は健在だ。今ある兵庫県の詩誌の中で最も古いものは「現代詩神戸」(1956年創刊)だと思うのだが、それに次ぐのではないだろうか。
「別嬢」の同人に西川保市さん(宍粟市)という人がおられて、三冊の詩集を持つベテラン詩人である。わたしはこの人の大のファンで毎号楽しみにしている。1923年生まれというから、そろそろ95歳だ。最新号の作品を敢えて全篇紹介しよう。ご本人に電話して掲載の許可を頂いたのだが、お元気そうで安心した。
メモ帳をめくっていると/『年寄りの三K』/ こけるな/ 風邪ひくな/ 恋をせよ/の訓言まがいの三行が目につく/雑誌か新聞を読んでいて/書き留めたに相違ない//『年寄りはこけるな 風邪ひくな』/の大事なことはよく分かる/こけて大腿骨を折り 車椅子に頼っている友がいる/ふとした風邪から肺炎になり命を落とした知人もいる/けれども 『恋せよ』と勧められても/永の年月一緒に暮らしたばあさんに/いまさら「アイラヴユー」とはよう言わん/「連れ合いには こだわらなくてもよろしい」/と神様がおっしゃるなら 私は/前々から 心の奥に住まわせていたあの人に/胸の熾火を赤々と燃え上がらせよう//「近ごろあなた変よ いい人でもできたの」/とばあさんに訊かれたら/「やっぱり分かったか 隠しきれないなぁ」と恍けよう/「その人は誰?」と問われたら/おもむろにささやこう//「きよこさん」※
(『年寄りの三K』考)
どうだろうか、このユーモア。読む者を、なるほどなるほどと思わせておいて、自分の手の内に引っ張り込み、そして最後に一杯食わせて作者は、読者の背中の後ろでニンマリし、そしてまた読者もニンマリというわけだ。 実はこの詩の最後にもう一行が添えられていて、「※連れ合いの呼び名」とある。しかし正直言って、これは蛇足かな?とわたしは思ったが。
西川さんの作風は、このようにとぼけたユーモアを漂わせるのが特徴だが、第一詩集『とってことってこ』(編集工房ノア・1996年刊)にはこんな詩がある。
夕方 庭木に水をやっていると/お歯黒とんぼがふわっと一匹/植込みの中から飛びたった/高く低くたおやかに/玄関先を飛び回っていたが/やがて八つ手の下の葉瀾に止まり/四枚の翅を静かに合わせた/黒い絽の着物をまとった新妻が三つ指ついて/夫の帰りを待つように/側に行っても逃げようとしない/彼女はゆっくりと翅を開いてまた閉じて/声のない声で話しかけてくる/次の日も私は/お歯黒とんぼの沈黙の声を聞いた//今年もまた(彼女にとっては夫となるはずの)/息子の祥月命日が廻ってきた/そして 盂蘭盆も過ぎた//お歯黒とんぼは もういない
(お歯黒とんぼ)
西川さんは、こんな重い石を心の底に沈めて、しかし、軽やかな言葉を紡ぎ続けておられる。
この原稿を書くために今わたしの手元に、西川さんの詩集が三冊ある。ところが実は、なかなか見つからなかった。好きな詩人の本なので身近に置いてあるはずだが、不思議にいつも姿を隠してしまう。つい三か月ほど前にも読んだのだが、その時も姿を隠していた。なんか西川さんに悪戯されているような気がしてしまう。広くはないわたしの家だが、あちらこちらに書棚があって整理が出来ていない。「喫茶・輪」にも小さな書棚が四か所にある。くまなく探したが見つからない。一旦あきらめて別の用事を済ませてから、また探索。すると、「あら、こんなところに」といった感じで顔を見せていた。なんとも不思議な本だ。
ところが見つかったのは二冊だけ。最も新しい『大切な人』(2004年・編集工房ノア刊)がどうしても見つからない。思い余って西川さんに電話した。「代金をお支払いしますので送って頂きたい」と。すると、「読んでいただけるだけでも嬉しく思います。代金などいただくわけにはまいりません。よろこんで差し上げます」の添え書きとともにすぐさま送ってくださった。
早速読み終えて、やはりいい詩集だなあと思って撫でさすっていてふと目に留まった一行。帯である。帯の背に、たった一行「風邪除け詩集」とある。これは今まで気づかなかった。本体にもカバーにもこの言葉は使われていない。奥付にもない。たった一行、帯の背に刷られているだけ。オシャレだ。詩集の中に「本日休診」というのがあって、井伏鱒二の『厄除け詩集』から「詩を書けば風邪を引かぬ」を引用しておられる。西川さん、いつまでもお元気で詩を書き続けてください。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。