5月号
対談/個性を育む私立中学の教育 第1回 須磨学園中学校
日能研関西 代表 小松原 健裕
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須磨学園高等学校 須磨学園中学校 理事長 西 泰子
〝なりたい自分〟になるための頑張りを応援します
名門私立中学校に多くの塾生を合格させている日能研関西代表の小松原健裕さんと関西名門校トップとの対談シリーズ第2弾。第1回目は、須磨学園理事長の西泰子さんにご登場いただきました。
女性の経済的自立を支援する女学校から始まった
小松原 4年後には100周年を迎える須磨学園ですが、女子校として設立されたのですね。
西 私の祖父が急逝したとき、師範学校の教師をしていた祖母はこれからは女性も手に職をつけるべきだと考え、実学教育の学校として、須磨裁縫女学校を創立しました。建学の精神は「清く、正しく、たくましく」。女性も時代を生き抜く力を身につけましょう、という理念です。夫との死別を経験した祖母は、「経済的自立なくして、精神的自立はない。女性も手に職を」と考えていたそうです。
小松原 元々はこの山の上ではなかったのですね。
西 当初は須磨区子守町、権現町、ついで長田区平和台町と移転を繰り返し、1960年にここの板宿町に移転してきました。私が3歳のころ、父が大八車を引き、この山を上がってきたことを覚えています。生徒たちが机と椅子を運んで来ました。
小松原 生徒が机を持ってですか!?
西 そうです。そういう時代でしたし、山を削っては、ひとつずつ校舎や体育館を建てていき、プールを造り、同窓会館を建て…建物だけでなく、時代の要請に応えながら学校の形も変えてきました。
男女共学、中高一貫進学校への方向転換
小松原 1999年には男女共学の須磨学園高等学校に大きく方向転換されたのは何故ですか。
西 1995年の阪神・淡路大震災が、大きな転機になりました。この地震によって学園の設備は大規模補修をしなければなりませんでした。そこで以前から中長期の経営計画に盛り込んでいた男女共学化への移行を決め、男子トイレを新設しました。そして、2004年には中学校を開校しました。
小松原 そこから、現在の高い進学実績をもつ中高一貫校へと変革していったのですね。
西 地震が起きた直後、急いで学校に来てみたら、次々に先生達がやってきてくれました。自分の家も被害を受けているにもかかわらず、生徒たちのこと、学校のことを心配して。こんなにいい先生がそろっているのだから、きっとなんでもできると確信しました。
小松原 中学校開校時に、西理事長自らが学校説明に塾に来られました。日能研にとっては、神戸に共学で進学重視の中高一貫校ができたことは大きな出来事でした。しかし、進学校として認めてもらうまでにはご苦労されたのでしょうね。
西 はい、私の両親は、女性が社会にでても困らないための生徒指導を重点においた教育を行ってきて、教育界では一定の評価も得ていました。しかし、時代が大きく変わっていく中で、もっと受験指導に力を入れて進学校にすべきではないかという思いがありました。卒業生から「胸を張って卒業生だと言える学校にしてほしい」と言われたことも大きかったですね。しかし、実際は偏差値を上げる、進学率を上げるのは大変でした。最初、ほとんどの塾さんから信用していただけない日々が続きました。そんな中で、日能研の小松原さんにはいつも「頑張ってください」と励ましていただきました。本当にありがたかったですね。
小松原 最近は阪神間から須磨学園に通う子どもも増えてきました。特に国公立大をはじめ医学部への進学率は高いですね。20年弱でここまでレベルを上げてきたのですからすごいことです。何か秘策があったのですか。
西 私はアメリカに留学した経験があり、現地のいろいろな学校を見てきました。ニューヨークに、10年で全米トップ校になったミドルスクールがあると聞き、早速行ってみました。校長に秘訣を聞くと、「いい先生を採用したこと」。「それならできる!」と、いい先生を採用しました。いい先生とは、専門性が高く、情熱があり、エネルギッシュである・・。決して、教師自身の学力が高いからといって、いい先生というわけではないんですがね。
小松原 スポーツでも優秀な選手がいいコーチになれるわけではないですからね。日能研には毎年他塾から転職してきます。採用にあたって学力は評価しますが、子どもの欠点ばかり探すような指導者では困ります。得意なところも見つけて伸ばしてあげられるような先生が、いい先生ですね。
勉強だけじゃない。異文化に触れ、スポーツも頑張る
小松原 須磨学園は受験勉強をしっかりさせてくれる学校ですし、体育会系の部活も強くて、中高の研修旅行で世界一周するなどいろいろな機会を与えてくれているというイメージがありますね。
西 本学園の教育テーマは「自己実現」です。価値観が多様化する中で生徒の目標も多岐に渡ります。それぞれが行きたいところに行ける、幅広い選択肢を持てる力を身につける学校を目指します。学習においてはダブルスクール不要で大学進学までの確かなカリキュラムがあり、専門性の高い先生が多くいます。国際理解教育の一環として世界一周旅行にも行きますが、若い時に異文化に接することで違いをあるがままに受け入れる寛容性と異文化に対する心理的ハードルを下げるオープンマインドの育成に力を入れています。スポーツも、毎年どこかの部が日本一になっていますね。
小松原 PMTMというセルフマネジメントをいち早く取り入れたことも成果につながっているのでしょうね。
西 学園長が考案したメソッドで、アメリカの大学のMBAでやっているような手法ですね。なりたい自分を決めたら、そのために何をしなくてはならないかを考えます。具体的に何をしなくてはならないのかを自分で書き出し、いつやるのかをスケジュールにします。中高生には難しいのですが、できるようになり、できるようになる子が伸びますね。
小松原 日能研からも毎年30人ほどが進学します。今後、どんな子どもに入学してきてほしいと思っておられますか。
西 明るく元気で、それなりの素直さをもった子どもです。
小松原 なるほど、それなりの、ですね。適度な批判的観点ももちながら、素直に基本的なことはしっかりできることが大切。バランスですね。
西 毎年、日能研からはのびのびしたいい子どもたちが入ってきてくれます。これからもよろしくお願いします。
小松原 こちらこそよろしくお願いいたします。
西 泰子(にし やすこ)
学校法人須磨学園 理事長
1992年学校法人須磨学園事務局長就任。1998年学校法人須磨学園理事長就任。1999年校名を須磨学園高等学校に変更し、男女共学に移行。2002年須磨学園高等学校校長就任。2004年須磨学園中学校開校中高一貫教育を開始、校長就任
小松原 健裕(こまつばら たけひろ)
株式会社 日能研関西 代表
甲陽学院高校、慶応義塾大学と中高大を私学で学ぶ。同大学法学部卒業後、日本IBMに入社。主に金融機関システムの提案に携わる。事業承継のため日能研関西に入社。授業担当科目は算数。京都本部長、副代表を経て、代表に就任。日能研関西本部業務全般に加え、日能研グループとの連携、私学教育の振興にも携わる