2月号
語りつくせない“結婚式”のよろこび
桂 由美 (ブライダルファッションデザイナー)
玉岡 かおる (作家)
司会 谷口享子 (神戸ウエディング会議 事務局長)
昨年、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんをモデルにした小説『ウエディングドレス』を上梓した作家の玉岡かおるさん。昨年12月、神戸ウエディング会議が主催となり、お2人を招いた公開対談「ひょうご ウエディングの未来を語る」が開催された。
日本のブライダルの歴史とともにある桂由美
―まず、桂由美さんから「ふるさとウェディング」についてお話しいただきたいと思います。
桂 私は、1964年の東京オリンピックの年に、日本で初めて“ブライダル”という言葉を用いて、「日本の結婚式を世界で一番幸せなものに」と願ってデザイナー活動をしてきました。
けれども昨今は、婚姻率が非常に低下している。理由はたくさんあるでしょうけど、女性が「結婚に憧れる」ということが少なくなってしまったのではないでしょうか。そこで、まずはプロポーズということで、プロポーズにふさわしいスポットを選定する『恋人の聖地』の選定活動を始めました。10年間で全国に140か所、各県すべてに聖地があります(兵庫県内には、神戸ハーバーランド、淡路サービスエリアなど5か所)。また、『恋人の聖地』のプレートをただ掲げているだけではなく、恋人たちに手を差し伸べなくてはと思い、6月の第一日曜日の「プロポーズの日」(1994年に桂由美が提唱し、日本記念日協会に登録)にちなみ「プロポーズの言葉コンテスト」に2006年より審査員長として参加しています。神戸では、6月だけでなく毎月の第一日曜日をプロポーズの日にされているとうかがいましたが、これは大変良いアイデアだと思います。
10年前、神戸ウエディング会議が立ち上がったときに、この神戸が日本を代表するブライダル都市になるためには、次の2つのことが重要ですと申し上げました。
ひとつめは、行政が予算をつけてくださること。そしてふたつめは、神戸市民の皆さん一人ひとりが、ブライダルの街・神戸を盛り上げていこうという意識を持つことです。海外で挙式をされた方に、どこが良かったのかおうかがいすると皆さん一様に、「教会を出たときにその場にいた市民の方が、また沿道のカフェのお客さんが『コングラチュレーション!』とお祝いしてくれてとても嬉しかった」とおっしゃいました。昔は、日本の花嫁さんは自宅から支度をして出て行きましたから、美しい花嫁姿を見て、私や友人たちはそれに憧れて、早くお嫁に行きたいなと思ったものです。市民参加型の結婚式を実現するためには、結婚式を挙げる方にもホテルやレストランの中だけで終わるのではなく、ぜひ外に出て、沿道の皆さんに幸せのおすそわけをしてほしいですね。そういった市民参加型の「ふるさとウェディング」の一環で、今までに鎌倉や丹後ならではの街並みを生かしたウエディングが実施されていますが、神戸は山と海があり絵になりますから、ぜひ外に出ていただきたい。海の上で船上の結婚式など、とても良いと思いますよ。
―玉岡さんは昨年、桂由美さんをモデルにした小説『ウエディングドレス』(幻冬舎)を発表されました。
玉岡 一昨年、私の長女が結婚式を挙げたのですが、その際にぜひ桂先生のドレスを着たいと申しまして、母親の立場で先生に会ったのが最初でした。先生はそのときデザイナー生活50周年ということで、きっと山あり谷ありの人生だったのではと、「ご苦労なさったことは」とおうかがいしても「あったかしらねえ」というお返事で(笑)、ああ、常に後ろなんか振り返らず前しか見ない方なのだなと感嘆しました。けれども戦争や業界でのご苦労などを少しずつおうかがいするうち、私が本を書くことによって、先生の人生をみんなで分かち合えることになるのではと、執筆を決意しました。先生は、まだ日本人が海外旅行などほとんど行かない時代に、フランスへ留学されているんです。今は留学でも旅行の際でも、キャッシュカードでバンキングできますが、その当時は1年分の生活費を、衣服の下につけて行かれたそうなんです。当時のお金で200万円だそうで、今の貨幣価値でいうと4千万ぐらい! そんなお話を一つひとつ取材させていただいて、2人でホテルのお部屋でお話ししているうちに気づけばルームサービスのサンドイッチが乾いてしまっていた、ということもありました。先生はまだお元気でいらっしゃいますので、“偉人伝”という形に押し込めたくなかったので、主人公は先生のお名前を少し変えて、その他フィクションを織り交ぜて、小説として書き上げたのです。
着物は失ってはいけない日本の文化
桂 よく、なぜそんなにお元気なんですかと聞かれるのですが、仕事をしていたら病気になっているひまなんてなかったんですよ(笑)。毎年一月下旬にパリコレがあるのですが、今年は伊藤若冲をテーマに作品を発表します。パリはファッションのお店が群雄割拠する地ですから日本人にしかできない作品を紹介したいと、私はこれまで、越前和紙とのコラボで紙を漉くところからデザインする「和紙モード」を製作してきました。でも和紙のドレスは、展示はできても雨に濡れてしまったら終わりなので、5年前より友禅染めにチャレンジしようと、「YUMI YUZEN」と題し、友禅を現代的にアレンジした作品を発表しています。また、今年は伊藤若冲(じゃくちゅう)をテーマに30点製作していますが、ラストの一着は特に、川島織物さんにお願いして孔雀(くじゃく)の羽根を織り出したゴージャスな作品を製作中です。
玉岡 「パリコレに出す」って先生はサラッとおっしゃるけれど、あのパリコレで作品を発表するというのは、とても難しい制約がさまざまありますし、我々の想像を超えたすごいことなんですよ。
桂 昨年嬉しかったのは、リオデジャネイロオリンピックの閉会式に、雨の中、大変だったと思いますが、東京都の小池百合子知事がお着物を着ていらしたこと。そしてパラリンピックの閉会式には、鶴が描かれたYUMI YUZENのポンチョを着てくださったんですよ。
玉岡 桂先生は、ウエディングドレスを日本で広めたおかげで、日本の着物文化を衰退させたのではとバッシングを受けたりされましたが、いつも「私は日本人だから、着物を裏切るはずはないのよ」とおっしゃっています。川島織物さんは老舗のお店ですが、先生のお仕事をされることによって、日本を代表する仕事に携わることになる。それは、日本の伝統文化を守ることにつながっています。先生は、横綱の化粧回しや、前ローマ法王の法衣を博多織でお作りになったこともあります。それによって、博多織の工房が活性化することにつながりますよね。
桂 着物は、世界各国の民族衣装の中で、いちばん芸術的価値がある、アーティスティックな衣装だと思います。その伝統文化をなくしてしまう訳にはゆきません。イギリスのダイアナ妃が結婚式を挙げられた1981年が、結婚式において和装と洋装の転換期になったといわれています。それまでは、式は和装で、お色直しでドレスを着るというのが主流でしたが、ダイアナ妃の美しいウエディングドレス姿をテレビで見た日本中の女性が、式でも白いドレスを着たいと希望しました。またそれに合わせて、チャペルの建設ラッシュも同時に起き、和装離れにつながりました。
私は着物を廃れさせないために1984年から和装のデザインに取り組み始め、様々な改革を行ってきました。当時の婚礼和装のヘアメイクは日本髪のかつらに白塗りメイクでしたが、どうしても似合わないという人には地毛のヘアスタイルにナチュラルメイクを勧めたり、着付け時間の短縮のため、振袖や掛下をツーピース式にするなどの工夫を行いました。その甲斐もあり、年々和装への関心が高まり、和から洋、洋から和への衣装チェンジが一般的になりました。いずれにしても「セレモニーは厳粛に、レセプションは楽しく」をモットーに和洋を両立させた日本人ならではの結婚式を挙げて欲しいですね。また、同時期に花婿のワンパターンファッションに対しての改革も行ってきました。テールコートやスペンサースーツ、セレモニーコートを次々に発表し、多様化するウエディングドレスと「格」を合わせた花婿の装いを提案しています。例えばテールコートは黒だけでなく、白やグレーなどもあります。8月のショーではゲストの片岡愛之助さんが藍色のテールコート姿を披露し、「これはYUMIブルーというんですよね」とPRしてくださいましたよ。
玉岡 あの美しい色は「YUMIブルー」というんですね。桂先生のドレスは、芸能人など話題の方が着られているのがすごいですよね。
桂 影響力のある芸能界の方々も、結婚される方はぜひ式をきちんとやってほしいですね。結婚されるというニュースは聞きますが、式はどうされたのか、そのお話はあまり聞かないのが残念です。昨年、DAIGOさんと北川景子さんが式を挙げられたのですが、その準備の真っ最中に熊本地震が起きたんです。そのためお2人はとても気を使われて、式や披露宴をやめようかというお話も出たとか。でも会場などにご迷惑がかかりますから、結局すばらしい式を挙げられました。報道のしかたにも問題がありましたよ。「何億かかっている」とか「お祝いに百万も包んだ」とかそういった記事ばかり出て、もっと「こんなに低予算で、こんなにすてきな式ができるのですよ」といったことも紹介していただきたいですね。
玉岡 先ほど、「花嫁さんは会場の外に出てほしい」というお話がありましたが、私の長女も先生が提唱なさる“式場の外でオープンカー”の第一号として東京の街にくり出させていただきました。一般人なので抵抗はあったのですが、沿道の方が皆さん寄ってきてくださって、桂先生も一緒に乗ってくださったので、余計に注目いただいて(笑)、本人もとても喜んでいました。
桂 神戸にもきれいな場所がいっぱいありますから、外での式もぜひやっていただきたいですね。また、式やパーティーができるように開放してくださっている地方のお城や文化施設などがありますが、一般の方はそこでどうやって式ができるのかわかりませんので、プロデュースをする会社が必要です。
ふるさとの風景の中で式を挙げるよろこび
―桂さんは、地方の文化施設を式場として使わせてほしいと、兵庫県知事や、各県の知事などに直訴されているとか。兵庫県内で、こんな結婚式はどうかというご提案はありますか。
桂 東は横浜、西では神戸というのは西洋と日本の文化の出会いの都市であるというイメージです。“和洋折衷”というのは、これもひとつの日本文化だと思いますので、ぜひ神社で、ウエディングドレスを着て式を挙げてはどうかと私はよく申し上げているんです。神社というのは、あんな宗教施設は他にはありませんし、日本の財産です。神社は和装だけと考えないで、ドレスでもどうですかと。
玉岡 兵庫県内には、歴史のある神社が多いですから、いろいろな場所でできそうですね。神社には、お神楽や獅子など、その土地ならではの伝統芸能がありますから、そういった芸能を式で披露していただくのも良いでしょうね。お祭りと結婚式を融合させたようなことも。地方で式を挙げることは、とても大切ですよね。東京に一極集中してしまいがちですが、その土地の優れた景色が若い皆さんの誇りになって、ここで式ができるという喜びにつながることはとても良いことだと思います。
―桂さんは50年、玉岡さんは作家生活30周年を迎えられたそうですが、今後の活動はいかがですか。
桂 私は52年前に海外留学をし、当時は東洋人ということで人種差別も味わいましたが、50年たつと時代がまったく変わりました。先日、中国の蘇州に行きましたが、蘇州はもともと刺繍がさかんなところでしたが、現在ではウエディングドレスの生産がさかんです。蘇州市がビルを整備して、とても安い家賃で約600社のドレスメーカーが集まっているエリアがあるんです。中国はヨーロッパのドレスの下請けをしていましたから、その技術や、マーケティングも学んでいます。中国は人口が多いですから、その分婚姻率も高い。婚姻率に関しては、日本では下がる一方ですのでとても残念です。ぜひ神戸では、婚姻率が上がるように、工夫をしていただきたいですね。
玉岡 私は、小説の中で「日本人の誇り」というものを書いていきたいと思います。今はアジアの国々に抜かれつつあるかもしれませんが、なぜこんな小さな島国が大きな経済成長をとげたのか。とりわけ、ものづくりに関しては、日本は世界に類を見ない技術をもっています。そういった日本人の精神に誇りをもっていただける小説を書いていきたい。神戸は開港150周年を迎えましたが、桂先生のように、戦争や困難を乗り越えた先人たちに学ぶことは、私たちにとって大切だと思います。先生にはぜひ今後も輝いていただき、私もそれを追いかけていきたいです。
平成28年12月12日、
エスタシオン・デ・神戸にて
桂 由美(かつら ゆみ)
日本のブライダルファッション界の第一人者。東京生まれ。共立女子大学卒業後、フランスへ留学。1964年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始。美しいブライダルシーンの創造者として世界各国30ヵ所以上の都市でショーを行い、そのイベントを通じてウエディングに対する夢を届け続け、「ブライダルの伝道師」とも言われている。同時に非婚化・晩婚化による少子化問題にも力を注ぎ、「恋人の聖地」の推進をはじめ、市民参加型の結婚式「ふるさとウエディング」を呼びかける運動を展開するなど多岐にわたり活躍中
玉岡 かおる(たまおか かおる)
1956年、兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。87年『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で神戸文学賞を受賞しデビュー。主な著書に『虹、つどうべし 別所一族ご無念御留』(幻冬社)、『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)ほか多数。 話題作『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞を受賞