10月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㊶ 表札
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
神戸の詩人、江口節さんが主宰する同人誌「鶺鴒」(12)に興味深い詩が載っていた。
転居した家には表札がない
郵便ポストにも名前はない
部屋番号がすべてだ
宛名のない郵便ポストに手紙が届く
時々廊下で挨拶を交わす方も名前は不明
前の家には表札があった
自分で選んで掛けたものだ
空家になってしまった実家には
今でも古びた表札が人を待っている
表で姿を消しつつある名前は
どこにいくのだろう
裏で輝きを増してきているのだろうか
自分であることを求められ
自分で自分を示し
自分で自分の中に表札を掲げる
そんな足場を築いているのか
(和崎くみ子「表札なし」部分)
マンションなどの集合住宅では、こういうことになってきているんですね。個人情報保護のためでもあるという。せちがらい世の中になったものだ。
でもさすがに一軒家ではそういうわけにもいかないだろう。わたしの家では、いまだに古い木製の表札である。戦災で焼失した西宮神社が昭和36年に本殿を復興した際、記念品として関係者に贈ったもの。建築で出た檜の端材を表札に仕立てたもので滅多にない貴重なものだ。
当時、わたしの知人に京友禅の絵師がいて、能筆家でもあり、書いてもらった。「今村欣史」とゆったりとした見事な文字だが、その絵師もいまはない。もう60年近くにもなるのだから致し方ないが、その表札もずいぶん草臥れてきている。しかし、軒下に掲げてあるそれを、あらためて下から眺めてみるとそれなりに趣がある。もっと言うと、人格があるようにさえも思えてしまう。人生の終盤を歩むわたしによく似合っているような。なので、いくら古ぼけていようと、もう新しいのにつけ替えようとは思わない。まして最近よく見かける、ローマ字のオシャレな表札にしようなどとは決して思わない。
2012年に97歳でお亡くなりになった、わたしが敬愛する詩人、杉山平一氏に「標札」という詩がある。
飛行機で見おろしていた山又山を
電車でわけ入って行くと
ちがった景色が開けてきました
自動車に乗りかえると
また新しい建物や樹が見えました
くるまを降りて 足で歩いて
ついに
小さな野菊と
あなたの標札を
見つけました
(標札)
まるで映画のズームアップのような情景。なんらかの物語があって、この表札はおそらく質素な、蒲鉾の板のようなものではないだろうか。愛しさのあふれる表札である。
そこで思い出すのが、杉山平一氏のご自宅の表札だ。
わたしは平一氏がお亡くなりになったあと、ご息女に案内していただいてそのお宅を訪ねたことがある。整理してしまう前の書斎を見せていただきたくて伺ったのだ。
宝塚市中山台のそのお宅は、坂道を上がった見晴らしのいいところにあり、静かな佇まいであった。
門の前でわたしは姿勢を正し、「いまむらと申すものですが」とご挨拶し、門柱にはめられた表札を見た。
それは思いのほか小ぶりで可愛いいものだった。もちろん木製である。うちの表札と同じように、縁の方は傷んでいて、歳月の経過を思わせた。そして墨で書かれたその文字である。「杉山」と横に二文字書かれた、その文字である。
決してプロの手になるものではなかった。素朴な文字だった。あれはきっと、杉山平一氏ご自身が、そこに居を求めて来られた時に書かれたものにちがいない。それはまるで、平一氏の人柄を現すような含羞を滲ませた文字だった。
今はもう、そのお屋敷もなくなっている。あの表札はどうなっているのだろうか。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。