8月号
装置産業の未来を拓く
株式会社 水登社 代表取締役社長
平井 良治さん
水登社は創業以来75年、大きなものから小さなものまで、一貫してパイプ・配管製造を行ってきた。
2003年には世界の市場を見据え、中国無鍚市、そして最近では常州市でも製造を開始した。
大きなものは発電機器パイプから
弊社の製品は大きさでいえば、直径6ミリから2200ミリ。例えば、大きなものは原子力・火力・水力発電所で発電機器周りに付随するあらゆるパイプ類で、小さなものは建設機械の油圧パイプです。最も大きなものは原子力発電所で温度が上昇した機械を冷やすために海水を引き込む冷却パイプですね。 また、トンネル掘削機の制御油圧装置は設計から製造を行って三菱重工さんに納めています。
材料を切断、溶接、曲げて表面処理し、塗装してから、お客さまの要望に応じて付属品を付ける、これらの工程を、神戸、二見、明石、稲美の4工場で分担しています。
ものづくりに欠かせない職人の力
現在、水登社には設計部門約30人、製造部門約250人の社員がいます。製造のうち約100人が職人です。その力は大きいですね。まず、図面が読めなければものは作れません。昔は第一角法だったものが第三角法に移行してきて、それがオーバーラップしている時代もありました。今は第三角法に統一されたとはいえ、お客さまによって描き方が違います。どんな図面でも瞬時に読み取って作らなくては、お客さまの要望通りのものはできません。
溶接の職人は日本トップクラスの資格を取っています。もちろん溶接ロボットも使っていますが、熱くなった鉄の伸びしろの微妙な補正を教え込むのに2時間はかかります。大量に作る場合はよいのですが、1個作るのに2時間かけていては割が合いません。やはり、そこは職人の力が必要です。
新たな市場を求めて中国へ
1995年に、アメリカのキャタピラー社が設立した中国の工場が2000年頃には軌道にのり、当時右肩上がりの成長をしていた中国では一部の部品が国内調達できるようになり、弊社も中国向けの部品を製造していましたので、「今後どうするか?」が問題になりました。そこで水登社の技術と工法をそのまま持って行き、2003年、100%出資会社を無鍚市に設立して中国での製造を開始しました。
中国進出というと「安い労働力を求めて」と思われるかもしれませんが、私としては「中国に新たな市場を求めて」の進出と考えています。現地で、日本のキャタピラー、コベルコ建機さんを始め、ヨーロッパから中国へ進出している大手建設機械メーカーさんとも取り引きいただいています。
中国でのビジネスで大切なことは日本人とは全く違う感覚を理解することです。まず、曖昧な返事はしない。謝る必要のない場面で謝らない。つまり、社交辞令で「すみません」を連発しない。怒る時は怒る。それも、日本人には考えられないようなボディーアクションを伴ってです。あらゆる面で感覚が違うのですから、致し方ないことです。
あくまでも〝部品屋〟に徹する
水登社は来年で75周年を迎えます。私が入社してから約40年。この間、技術や工法は変わってきてますが、出来上がる製品は変わっていません。昨日まで作っていたものが、今日は使えないという分野ではないんです。100が50になったり、時には120になったりしますが〝ゼロ〟になることはないと思っています。人間でいう血管(動脈・静脈)を作っているので、こういうものづくりを始めた先代には感謝しています。
とはいえ、ひょっとしてゼロになった時どうするか? 考えておく必要はあります。私は、今後も自社の名前が出るようなものは作らず、あくまでも部品屋に徹するつもりです。一方がゼロになったとしても、融通が利くからです。これらが計画通りに進めば、水登社は世界での部品シェアを今以上に伸ばし、100周年を迎えることができると信じています。
平井 良治(ひらい よしはる)
株式会社 水登社 代表取締役社長
1949年兵庫県神戸市生まれ。関西学院大学法学部卒業後、㈱水登社に入社。
35歳で㈱水登社2代目社長に就任。就任後、1988年に設計会社である㈱SEC、2002年にはグループ最初の海外法人として中国に無錫水登機械有限公司を立ち上げ、現在は国内外計6社を経営。趣味はゴルフ・車に加えて最近は料理も始めた。