3月号
松帆銅鐸から何がわかるのか
独立行政法人国立文化財機構
奈良文化財研究所 埋蔵文化財センター長
難波 洋三 さん
「松帆銅鐸から何がわかるのか」。本格的な調査を前に、奈良文化財研究所 埋蔵文化財センター長の難波洋三さんは、謎の多い銅鐸を解明する上で、今回の発見に大きな期待を寄せる。
今回の松帆銅鐸の発見により、銅鐸に関する重要な論点のうち3つの点において、解明や研究の進展が期待できそうです。まず、銅鐸の具体的な使用方法がわかるかもしれません。2番目は銅鐸がいつ埋められたのか。今回は銅鐸にひもがついており、こういう有機物を理化学的に分析することではっきりわかるのです。3番目には銅鐸が多数一括で埋められた意味の解明です。
今回の松帆銅鐸は、舌が出土しています。また、銅鐸は鳴らすために舌が当たる部分が盛り上がっているのですが、そこがすり減っていました。ですから何回も鳴らされ使用されてきたと思われます。
出土時の入れ子状態の松帆銅鐸をCTスキャンで解析したところ、大きい銅鐸と小さい銅鐸の間に挟まって舌が見つかりました。おそらくそれぞれの銅鐸にひもでくくりつけた状態で入れ子にしたのでしょう。青銅の成分が溶け出し腐食を防いだようで、実際に取り出すと紐が残っていて感動しました。また、草の葉もくっついていました。
舌を下げる紐は三つ編みのように編まれた組紐を使っていました。また、ひもの痕跡を解析したところ、銅鐸を吊り下げる際には太さ2~3ミリの細い紐で何重にも巻き付けていたことが確認できました。手に持って鳴らしていたものではなく、吊り下げて使用していたことがはっきりしたのです。
今回、ひもや同時に埋まったと思われる植物が残っていますので、それらを科学的に分析すると何年に埋められたかがわかります。いまその測定をしている最中ですので、結果が出るのを期待してください。銅鐸の埋納時期については、これまでもいろいろな議論がありましたが、そのための重要な情報が得られることでしょう。
松帆銅鐸は7個出てきましたが、南あわじではこれまで、17世紀の終わり頃にも慶野中の御堂で8個の銅鐸が発見され、昭和41年(1966)には古津路で銅剣が14本出土しています。なぜこのあたりの狭い範囲で集中して青銅器が見つかるのでしょうか。
実はほかにもそういう場所があります。有名な場所は兵庫県の六甲山南麓で、4キロくらいの範囲から青銅器が多数出土しており、桜ヶ丘遺跡では銅鐸が14本、銅戈が7本も出ています。出土した銅鐸大小さまざまで、いろんな形や模様のものが混ざっています。でも、この例のように雑多なものが集められることは、実は一般的ではないということが最近の研究で明らかになっています。島根県の加茂岩倉遺跡では39個の銅鐸が出ましたが、大きさや特徴が揃っています。おそらく1つの集団ないし親しい集団のグループが規格を揃えて集めたのでしょう。
松帆銅鐸は20センチくらいと30センチくらいが基本的なサイズで、時期的にも揃ったものが出ています。そして実は、同じ型でつくられた同笵銅鐸が確認できました。2号銅鐸と4号銅鐸が同笵で、近くの中の御堂で江戸時代に出土した日光寺所蔵の銅鐸も同笵であることはほぼ間違いありません。同笵関係を詳しく調べると、これらの銅鐸がどういう経緯で南あわじに埋められたのかががわかるかもしれません。今後の研究で明らかにしていきたいと思います。
2月7日 於・南あわじ市中央公民館
難波 洋三(なんば ようぞう)
1955年生まれ。京都大学工学部を終了後、同大文学部へ編入して考古学を専攻、大学院博士課程を修了。京都国立博物館勤務を経て、独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所 埋蔵文化財センター長。主に弥生時代の銅鐸を中心とする青銅器の研究に携わり、銅鐸研究の第一人者。4月より発足の松帆銅鐸調査研究委員会 委員