6月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉕ 立雲狭の桜
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
掌にすっぽりと入ってしまうほどの本がある。
縦10センチ、横7センチ、『桜博士 笹部翁』(豆本灯の会・1980年)という豆本である。
毎年春に催される三宮サンボ―ホールでの大古本市に今年も出かけ、そこで入手したもの。実は昨年上梓した拙著、『触媒のうた』の中でわたしは「櫻博士」(本誌2015年4月号初出。)と題して笹部翁のことを取り上げている。
翌日の朝、早速その豆本を読んでいたのだが、「立雲狭」という言葉が出てきて驚いた。意外だったのである。立雲狭は、最近「天空の城」として人気を呼んでいる「竹田城跡」のすぐそば、円山川を挟んだ向かいの朝来山の中腹にある。雲海に浮かぶ幻想的な城跡の写真は、この立雲狭から撮影されたものだ。私の店「喫茶・輪」には地元の観光協会が発行している竹田城跡のカレンダーをかけている。ボランティアガイドをしている従妹が毎年送ってくれている。朝来はわたしにとって父祖の地なのである。
『桜博士 笹部翁』に「笹部さんの長話」と題された池津勇太郎氏(元朝日新聞記者)による文章がある。その一部を紹介しよう。少し長いがおつき合いください。
《フトしたときに、笹部さんが日本のサクラ番付を作り、吉野なんか駄目だとキメつけたうえ、兵庫県の但馬の立雲狭という山を番付の大関の地位に取り上げたことがある。そしてその立雲狭というのが、私の父がその生命をかけて開拓した名所であったことから、私は急に笹部さんとの親近感を深めたのである。
立雲狭はもとから但馬吉野といわれたサクラの名所朝来山の一帯にあるが、朝来山のサクラがほんの一部だったのを、何倍かに開拓して、沢山の巨木を掘り起こしたり、巨岩を発見したりして、新しい名所立雲狭を作ったのが、その土地に生まれた私の父なのである。「生命をかけて」というのは、この朝来山には木花咲耶姫が祭られており、「山を開くと祟られる」という伝説があった。父はそれを知り「たたるなら俺にたたれ」と言って、何百人かの人夫を入れて開拓したが、立雲狭の開山した年、不治の病、食道癌に倒れた。やはり「たたったね」というのが郷里の人々の噂であった。
笹部さんはそういういきさつは知らずただ立雲狭のサクラを見て大関の番付を作ったわけだが私からその話を聞いて特に関心を持ち、立雲狭の保存について関係者に話をしたり、サクラの苗木を数百本も寄付してくれたりした。
残念ながらわが故郷の人たちは、毎年何十万人という人がサクラ見物に来るにもかかわらず、この町に落とす金が殆どないという恩恵の無さから始めにかけた期待を裏切られ、立雲狭そのものの保存と育成を忘れてしまった。そしてすでに寿命が来ている巨木の倒れるに委せ、その後継樹を作ることに努力せず、いまや折角の名所も昔の残骸を残すような、淋れ方をしているのは亡き父のみならず笹部さんもさだめし不本意であるに違いないと思う。》 この文を読んでわたしは、「今どうなっているんだろう?」と大いに気になり、丁度桜の季節でもあったので、すぐさま車を但馬路に走らせた。
寂れた山を想像していたが全く違っていた。
そこは「まんが日本昔ばなし」に出てくるような見事な花の山だった。急斜面である。そこに散策道がくねくねと続いており、上を向いても桜、下を見ても桜である。中には白いこぶしの花も。王子動物園や夙川などの都会の名所とは趣の違う眺め。天気は良く、野鳥のさえずりの中、胸いっぱいに山の空気を吸って、広々とした空の下の桜の眺めは言葉に尽くせぬ美しさだった。笹部翁が大関に推したわけがわかる。さらに、向かいの山に竹田城跡が望めるのである。タモリ出演のテレビコマーシャルの舞台にもなったあの城跡だ。
花の下で世話人のお一人にお話を伺った。「昔は茶店などが出てにぎわった時代もあったらしいですが」と語ってくださったが、その人は立雲狭の歴史を詳しくご存知ではなかった。そして、「このように整備できたのは、ここ五年ほど前からの竹田城跡ブームのおかげなのです」と。
山中には池津氏が書いているようにたくさんの岩がある。それが庭石を配するように点在していてこれもまた楽しめる。ところがわたしは少し残念。ササベザクラが見当たらないのである。できるならば、笹部翁ゆかりのササベザクラを植えていただき、池津氏と笹部翁との歴史の解説版を設置していただきたいと強く思ったことだった。
因みに“池津勇太郎”は「イケズ言うたろう」の意があるペンネームであると、後日宮崎修二朗翁より伺った。
山中には獣除けの囲いが点在していて、中に山桜の若木が植えられている。これには説明版があり、地元の竹田小学校の児童による「二分の一成人式」の記念植樹なのだった。できることなら子どもたちにも立雲狭の歴史を教え、ぜひともササベザクラを植えていただきたいものである。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。