5月号
英国と神戸 Vol.11 開港前夜 パークスと神戸の人々
ペリーが来航した1853年、大きく日本が変わることになる。黒船が来たという情報はやがて神戸へも伝わった。1862年ごろから兵庫にイギリスやフランスの外国船がたびたび来港するようになり、兵庫だけでなく神戸の村々も騒然となった。1865年にイギリスからハリー・パークスが大使として日本にやって来たのだ。当時のイギリスは七つの海を制覇した世界一の大国。パークスは条約で決まっていたにもかかわらず、まだ実現していなかった兵庫の開港を要求し、兵庫津に軍艦8隻を待機させ、しかも3週間も上陸した。
パークスはこの間、新しく港になる候補地を選ぶための調査をし、士官たちが徒歩で遠出をして調査した。その時に彼らは神戸や北野の人たちに出会った。彼らは3週間にわたり神戸村や北野村などくまなく精査したのだろう。ある日突然、外国人たちがやって来たことで、村人たちの驚きと衝撃は測り知れないほど大きかったに違いない。また、パークスの記録には「村人たちはきわめて友好的だった」と記されている。つまり、神戸村や北野村の人たちも怖がってばかりではなく、喜んで迎えたようだ。これが最初に外国人と出会ったときの神戸の人々の姿である。
パークスは気が短く、恫喝外交をおこなったため恐れられていた人物だったが、そんな彼が非常に喜び、そのお返しとして村人が自由に自艦の見学ができるように許可をした。村人たちは家族連れで訪れることができるようになり、最後の数日間は艦上がごった返す有様だった。パークス自身、「旗艦の大きさや装備を実際に自分の目で確かめて、村人たちは好奇心を大いに満足させ感嘆した」と記している。この時の様子は、タイムズ紙やその他の文献に残されている。
それから間もない、1868年1月1日に神戸は開港を果たした。パークスと神戸の人々との交流は、開港前夜のエピソードとして伝わっている。