10月号
草葉達也の神戸物語
ゲスト: 門前喜康さん
(サンテレビ報道制作局・番組編成担当取締役)
神戸のテレビ局といえばサンテレビ。最近では「おっ!サンテレビ」のキャラクターが人気で、そのキャラクターのモデルでは?と噂される名物社員の門前さん。お話しを聞いてきました。
草葉 いつも皆さんにお生まれを聞いているのですが。
門前 私は兵庫区の松本通りです。昔のオリバーソースの工事場の近くですね。
草葉 あのソースのいい匂いがするあたりですね(笑)
門前 そうです(笑) そこで生まれて小学校六年生までは同じく兵庫区の平野です。
草葉 小学校の思い出というと?
門前 祇園さんですねー、祇園祭。
草葉 私も兵庫区育ちなので祇園さんは思い出ありますねー。夜の何とも言えない雰囲気が子供ながらワクワクしました。急な階段があって、普段売ってないようなものがたくさんありましたよね。ウミホウズキとか。
門前 そうそう、カブト虫を買って帰ってすぐ死なせてしまったりね(笑) 色塗ったヒョコとか(笑)
草葉 ありました(笑)
門前 私はボーイスカウトに入っていたので、交通整理をしたのも思い出ですよ。
草葉 覚えていますよ! ボーイスカウトの子が交通整理していたのを。あと烏原水源地とか。
門前 あそこは私の先祖が水車を持っていたらしくて、よく遊びに行きましたよ。
草葉 どんなお子さんでしたか?
門前 ずっとブラスバンド部で、打楽器だったのですが指揮をするようになりましたね。
草葉 目立つことが好きで。
門前 そんな感じではなかったですけどね(笑)
草葉 その門前さんがテレビ局に入られたきっかけは?
門前 大学の卒業論文で播州歌舞伎と農村舞台を課題にしましてね、県下を回ったり一座について行ったりしましてね。その時に兵庫県が地元と言っても、いかに兵庫県のことを知らないということがわかりましてね。
草葉 兵庫県は広いですしねー。
門前 そうなんですよ。生野や和田山なんて行ったことなかったですし。その時に郷土史みたいなものに興味を持ち始めて,地元に目が向くようになって縁がありサンテレビに入りました。
草葉 サンテレビに入られてからは、どんなお仕事を?
門前 制作部のディレクターをやりまして、いろんな番組やりましたね。
草葉 サンテレビの落語会に行った記憶ありますが。
門前 上方落語大全集ですね。私も関わっていましたよ。
草葉 あっ、そうでしたか。
門前 それから報道部に移りまして、報道は長かったですね。
草葉 報道といえば、震災ですよね。
門前 あの日は家族の安否を確認してから会社に向かいました。機材はぐちゃぐちゃでしたが会社には自家発電が回っていましたので、震災当日の朝八時十分過ぎに生放送に切り替えて放送しました。
草葉 まさに被災地のど真ん中からの放送ですね。そういう色んな思いを川柳にして出版されたのが、『揺振摺(ゆりふりすり)』という本ですね。
門前 五十歳の時にまとめてと思っていたのですがダメで、還暦の時にもダメだったので諦めていたのですが色々と縁がありまして、数千の中から選んで出しました。震災だけではないのですが、やはりきっかけにはなっていますね。
地元神戸サンテレビの名物敏腕社員だけではなく、川柳作家として多方面で活躍中の門前さん。真面目さとユーモアを兼ね備えた素敵な方でした。
もんぜんよしやす
1952年神戸市生まれ。1995年阪神・淡路大震災を契機に川柳を始める。故川柳作家・エッセイストの時実新子氏に師事。
くさば たつや
神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員、日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員、大阪大学文学部研究科
阪南大学国際コミュニケーション学部非常勤講師
ひょうご老舗会実行委員長