10月号
第二十回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵
中右 瑛
光源氏・明石の巻(概要・潤色)
源氏の君にとって、都を遠く離れ一年余りの須磨の地は決してよき楽園ではなかったのです。思えば、源氏の君が自ら好んで出かけ、新しい出会いを期待したのでしたが浮ついた話などまったくなく、かえって悪いことが多く、落雷、火災など思わぬ憂き目に遭ってしまわれました。しかし次の明石では、源氏の君にとって運命的な出来事が待ち受けていることなど、知る由もございませんでした。
亡き父院の夢のお告げを守り、須磨を離れる決心をし、その翌朝早く風流な老人・明石入道が支度した船で須磨の湊を出港し、新天地の明石へと舞台は移ったのでした。
明石では、景勝地にある豪奢な明石入道の屋敷におちつき、そこで入道の娘との運命的な出会いがございました。都人にもおとらぬ気品をたたえた美しい女人で明石の君と結ばれたのでした。
源氏の君が須磨・明石に隠棲し始めて三年余りが過ぎてしまいました。
都では、源氏の君の身を案じた紫の上や末摘花など、寂しく嘆き悲しむ女たちもたくさんおられ、どの女人たちも再び源氏の君に会えることを待ち望んでいるのでした。都では帝のご病気をはじめ政治的に騒がしくなりはじめ、源氏の君も都のことが気が気ではありません。
やがて、あくる年の夏、源氏の君に都への帰還の令が届いたのです。明石の君とは深い仲になって子どもまで身ごもっておられたのでございますが、源氏の君は、妊娠中の明石の君との別れは心引き裂かれる思いで、明石の浦を出達し、懐かしい都へご帰還なされたのでございます。
四年余り、会っていなかった紫の上もすっかり大人びて美しくおなりで、久しぶりの対面に紫の上が涙を流して喜ぶ姿がいとおしく、一方明石に残した身重の明石の君を源氏の君はいじらしく恋しく思っていたのでした。
翌年の二月、十一歳の冷泉院が新帝になられたのを機会に、源氏の君は内大臣に就かれ、源氏一門が政治の表舞台に再び躍り出て、天下の政治は思いのままになったのでございます。
三月、明石の君は無事に女の子をお産になられました。源氏の君にとって初めての姫君で、乳母をつけたり、高価なお祝いの品を贈ったりと細やかな気遣いをなされました。明石の君と姫君を京・嵯峨野に移り住ませたのです。
ときの移りは早いもので、源氏の君が絶えず気にかけていた姫君も、はや十二歳となられました。姫君に入内(帝の妃)する話が持ち上がり、ことは順調に進められ、姫君はことなく入内されました。源氏の君も40歳を来春に迎え、帝からは太政天皇(上皇)に準じる待遇が与えられたのでした。
明石の恋は源氏の君にとって生涯に大きな力となって成就し、心安らぐ思いでわが世の春を謳歌なさっているのでございます。
*注
『源氏物語』瀬戸内寂聴著・講談社発行
『源氏物語』ささきようこ編集・表現社発行
を参考にしました。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。