5月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から⑫ 加計呂麻島
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
「カケロマジマ」というなにかの呪文のような言葉。漢字ではこう書く。「加計呂麻島」。
奄美群島の中の一島である。戦時中は特攻艇の基地でもあったところ。
昨年秋、八歳ちがいの末弟が亡くなり、その葬儀の席で久しぶりに会った次弟夫婦との会話の中で出た言葉である。
弟の妻が奄美大島出身で、しかし本島ではなく、奄美群島の中の一島だということは知っていた。昔のミステリアスな風習を聞いて驚いたこともあった。だけどまさか加計呂麻島だとは思いもしなかった。弟たちが結婚してからすでに約40年が経っているのに迂闊だった。
実は、加計呂麻島に関する話を本誌に書いたことがある。2014年1月号。戦後の一時期、神戸に住んだ作家、島尾敏雄のことだ。その妻が加計呂麻島出身のミホ。
島尾はその加計呂麻島で死ぬことを約束された特攻隊の隊長であり、そこでミホと知り合った。昭和20年8月13日夕刻に特攻戦が命令されるのだが、出撃待機のまま終戦となり、戦後に生き延びる。そして二人は結婚、神戸で生活する。その後の波乱の人生を描いた小説が、芸術選奨を受けた『死の棘』。ミホが主人公だ。
その神戸時代の島尾夫妻と親交があったのが若き日の宮崎修二朗翁、兵庫県文苑の長老だ。
宮崎翁はある日、ミホさんからミホ自身が染めたハンカチをもらったことがあるという。それは島に流れ着く流木を煮つめて作った染料を使ってのもので、美しい朱色のハンカチだったと。そんなものをもらうくらいだから、単に新聞記者と作家の関係ではなく、よほどいいおつき合いをなさっていたのだろう。
昭和27年、島尾一家が東京へ出て行く際に、宮崎翁は壮行会を催したともおっしゃっている。
今年は島尾敏雄生誕百年、そしてミホ没後十年だという。それで、島尾関連の出版物が相次いでいるわけだが、わたしは今、『狂うひと』(梯久美子・新潮社)を読んでいる。島尾ミホの評伝だ。
著者の梯(かけはし)さんは「加計呂麻島」のことをこう書いている。
《奄美大島のすぐ南に位置する小さな島である。大島海峡をへだてて向き合うふたつの島の海岸線は不思議に噛み合う凹凸をもち、島尾の表現を借りれば「離れがたいのを無理に引きちぎったふう」にも見える。》
わたしも地図を見てみたが、まさに島尾のいうとおりだった。そして、梯さんはこう書く。
《耳慣れない響きと万葉仮名を思わせる字面の名を持つこの島には、》
北海道の地名も個性的だが、奄美のそれもまたユニークである。地名には歴史が刻まれている。梯さんの文章はこう続く。
《保元の乱に敗れた源為朝が来島したとの伝説があり、滝沢馬琴の『椿説弓張月』にも登場する。島はかつて鎮西(ちんぜい)村、実久(さねく)村に分かれていたが、これらの村名は、為朝の別名である鎮西八郎と、この島で生まれたとされる為朝の子、久三郎にそれぞれ由来している。(略)島尾の部隊が駐屯した呑之浦は大島海峡に面しており、入り江が折れ釘のように陸地の奥まで深く切れ込んでいる。そのため外洋から見えにくく、波も静かで、特攻艇の秘匿と訓練に適していた。》
そのような辺境の地で、死ぬことが決まっていた島尾と、島長(しまおさ)の娘ミホが命懸けの恋に落ちたのだった。
話を戻して、わたしの弟嫁のことである。旧姓は登島(としま)、名前をナスエという。七人姉弟の二番目。改めて話を聞いた。またしてもわたしは驚きの声を上げたのだ。
出身校が押角(おしかく)小、中学校(現在廃校)だという。ミホの後輩になるわけだ。生まれた所は勝能(かちゆき)。地図でたしかめるとミホの出身地、押角の隣の集落だ。学校までは歩いて40分ぐらいだったという。
「もう長く帰ってないです。親のお墓参りにも行きたいのですが、なかなかねえ…」
卒業して集団就職で島を出たのが昭和41年だったと。そうして、島尾夫妻のような命懸けの恋ではなかっただろうが、わたしの弟と出会ったというわけだ。
遠いところへ寂しくなかった?と訊くと、「みんなそうだったから、当然という感じで。都会へのあこがれもありましたし」
やわらかい奄美方言のイントネーションが微かに残る口調だ。
もしかして島尾敏雄やミホさんのことを知ってるかなと思ったが当然ながら知らなかった。
子どもの頃の思い出は?と訊くと、「海でよく遊びました。それはそれはきれいな海でした。貝ガラを拾ってままごと遊びをしたり」
そういえばずいぶん昔に、海岸で拾ったというきれいな貝ガラを土産にもらったことがあり、今もある。
耳に当てたらミホさんの声が聞こえるだろうか。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。