12月号
北野異人館よ、とわに!
慶応3年(1868)の開港にともない、外国人たちは居留地に住まいを構えることを許された。しかし、工事の遅れなどもあり、やむなく政府は居留地の周辺を雑居地として指定する。雑居地とは、外国人と日本人が同じエリアに住むことを許されたエリア。こうして、北野村には外国人たちが洋風の住宅を造り、この地に住むことになる。時代とともにその姿は失われてしまうが、昭和50年代には、まだ外国人たちが多く住んでいた。現在では、一般公開されている異人館もあり、今でも当時の外国人たちの生活ぶりを伝えている。観光地となる前の北野町を見てみたい。
旧ハンター邸
もともとは北野町にあった英国商人E.H.ハンター氏の邸宅を、昭和38年に王子動物園に移築したもの。緑をバックにした美しい洋風庭園に、大理石のマントルピースやチークの床材、ブロンズのシャンデリアなどの細部にまでこだわった意匠が相まって、現存する異人館の中では最大規模を誇る。国指定重要文化財。昭和50年
フロインドリーブ邸
明治40年(1907)にM.J.シェー邸として北野町1丁目に建設された。後にNHK朝の連続テレビ小説『風見鶏』の主人公のモデルであるドイツパン職人ハインリヒ・ブルクマイヤーが所有者となり、その息子のフロインドリーブに受け継がれたコロニアル様式の西洋館。現在は、北野坂に移築され、カフェとして利用されている。昭和51年
旧アーボイ邸(現・イタリア館)
1910年代にアーボイ氏の邸宅として建てられた切妻屋根が特徴的な異人館。明治中期から後期頃に主流だったコロニアル様式の建物とは異なり、ハーフ・ティンバー様式の建築技法をとり入れている。先端を三角に尖らせた板塀も特徴的。現在はイタリア関係の美術品や家具などが展示されているプラトン装飾美術館として一般公開されている。
写真提供/浅田浩
昭和50年代
サッスーン邸
明治25年(1892)に建造された異人館。1985年まで居住していたユダヤ系シリア人貿易商デヴィット・サッスーンの名をとり、一般にサッスーン邸と呼ばれている。外観は典型的なコロニアル様式で、建物の南側に広大な庭園があり、内部は木彫など優れた意匠で飾られている。現在、一般公開はされておらず、ウエディングの式場として利用されている。昭和51年
旧ドレウェル邸(現・ラインの館)
この建物は大正4年(1915)に建築。木造2階建、下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいる。昭和53年の一般公開の際にこの館の愛称を公募した結果、「ラインの館」となった。
昭和51年
右/旧フデセック邸(現・英国館)
明治40年(1907)、イギリス人医師・フデセックの邸宅として建てられた。当時のままに保存されている、コロニアル様式のバルコニーが特徴の洋館。ベランダは南面東半部を南に張り出して設け、東西の壁面にベイ・ウィンドを設けている。現在は、「英国館」として公開され、イングリッシュガーデンやアーツ&クラフツ運動で知られるウィリアム・モリスのファブリックなど英国の文化を伝えている。
左/洋館長屋(現・仏蘭西館)
明治41年(1808)、居留地に外国人向けアパートとして建設され、後に現在の北野に移築された。左右対称の2棟が中央で連結し、連結部の階段の左右に入口が設けられている。その洋館として一風変わった外観が日本の長屋のようであることから、「洋館長屋」と呼ばれるようになった。現在では「仏蘭西館」として公開されている。昭和52年
旧トーマス住宅(現・風見鶏の館)
かつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が自邸として建てた建物。北野・山本地区に現存する異人館の中で、れんがの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)など、他の異人館と異なった重厚な雰囲気をもっている。国指定重要文化財。昭和50年
トーセン邸
北野天満神社の東隣、細い路地を登りつめた山肌に佇む、格子窓が特徴の異人館。大正8年(1919)年築。屋根はスレート瓦葺き、南面には長いベランダを配している。かつては公開異人館だったが、震災のあった平成7年(1995)からは非公開となっている。昭和53年
うろこの家
北野町の急な坂道を登りつめたところに佇む。円筒型の展望塔と2階建母屋の壁面の、3000枚におよぶ亀甲形のスレート(天然石の一種)葺きが特徴。神戸で最初に公開された異人館で、インテリアも昔のままに、完全な状態で保存されている全国でも数少ない洋館。貴重な文化遺産として、国の登録有形文化財、さらには兵庫住宅百選にも指定されている。
昭和52年
旧シャープ邸(現・萌黄の館)
明治36年(1903年)、アメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築された洋館。かつては、白色に塗られていたが、現在では淡いグリーンの外壁に塗り替えられている。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウィンドが特徴。アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど贅沢な意匠が随所にみられる。国指定重要文化財。昭和50年
山田邸
現在の萌黄の館の西隣に佇んだ。明治40年(1907)の建築。木造2階建、寄棟造、桟瓦葺。外壁には、人造石洗出し目仕切を使用。これは、天然石を細かく砕き、練り合わせたモルタルを上塗りし、それを洗い出して、自然な風合いを再現しようとする工法。明治期の異人館は木造が多い中、一歩進んだ工法を用いている。昭和50年代
写真提供/浅田浩
旧ゲンセン邸(現・神戸華僑総会)
明治42年(1909)頃のA,N,ハンセルの作品のひとつ。ドイツ染料会社の経営者・ゲンセンが建てたと伝わる。下見板の外壁、大きく巡らせたガラス貼りのテラス、鎧戸付のベイ・ウィンド、赤レンガ積みの煙突など典型的なコロニアル様式。現在は非公開で、神戸華僑総会が所有する。昭和50年
マリニン・フタレフ邸
北野通りから駐車場を挟んで奥に建つ。玄関部には古いネームプレートがあり、レトロな車庫と門を備えていた。建築当時からの改変が非常に少なく、当時の屋敷構えを今に伝えている。傷みがひどく、建築年代等は不明。昭和52年
旧グラシアニ邸
北野町4丁目、異人館通に面する典型的な異人館建築。明治41年(1908)築。フランス人貿易商・グラシアニの自邸として建てられた。木造2階建、日本黒桟瓦、下見板張、ベイ・ウィンドをもつコロニアル様式が特徴。平成24年に火災に遭うが、消失前の外観に復元再現し、フランス料理レストランとして営業している。昭和52年
日本郵船生田寮
異人館の中には、法人の寮として利用されていたものも多い。日本郵船生田寮もそのひとつ。明治38年(1905)ごろに建てられたと考えられており、所有者や設計者は不明。木造2階建、寄棟造、日本瓦葺。外壁やベイ・ウィンドには、美しい意匠が施され、同年代に建築された異人館の中でも洗練されていた。香川県高松市四国民家園に移築された。昭和51年