10月号
連載コラム 「続・第二のプレイボール」 |Vol.8
子供に夢と希望を与える最後の勇者 清原雄一さん
文・写真/岡力<コラムニスト>
引退後にさまざまな世界で活躍する元プロ野球選手の「今」をご紹介します。
「人より肩の出来上がりが早かった」と語るのは、大きく曲がるカーブを武器にリリーフとしてプロ野球界で活躍した清原雄一さん。1969年生まれ大分県出身、小学2年時に心と身体を鍛えるために野球を始める。中学時代に投手として頭角を現し強豪・柳ヶ浦高校へ進学。1987年、高3の夏には甲子園へ出場しプロのスカウトが注目する存在となった。誘いのあった大学・社会人野球を断り迎えたドラフト会議の日。上位指名を約束する球団もあったが名前が呼ばれる事はなかった。その後、阪急ブレーブスから連絡が入り練習に参加。紅白戦での登板が上田利治監督の目に留まりドラフト外で入団した。1年目から1軍のマウンドに立ち10月4日には同姓の西武清原選手から三振を奪う好投で初勝利をマーク。だが同年に球団がオリックスへ身売りした事から最後の勇者となった。
1994年、山田久志コーチから指摘を受けサイドスローにフォームを改造。翌年は、43試合に登板しリーグ優勝にも貢献した。「山田さんの指導は現役時代から厳しかった。キャッチボールで構えたところに投げないと受けてもらえなかった」と当時を振り返る。1999年には阪神タイガースへ移籍するも肘の故障が原因で現役を引退。その後、11年に渡り打撃投手として新庄選手、今岡選手といった主力を支えた。
現在、スポーツデポ加古川別府店にてベースボールアドバイザーとして用具選びや一角のスペースで指導を行う毎日。「来店する子供達にはいつもお土産(良い試合結果)を持ってくるように言っています」。今日も未来のプロ野球選手に寄り添いながら献身的なアドバイスを行っている。
■スポーツデポ 加古川別府店
兵庫県加古川市別府町緑町2番地
(山陽電鉄「別府駅」より徒歩5分)