8月号
危険物で世界ネットワークを
株式会社 築港 代表取締役社長
瀬戸口 仁三郎さん
世界にネットワークを持つ㈱築港にとって、アジア諸国との関わりは欠かせない。今、熱いアジア。
その中で日本が生き残る道をお聞きした。
欠かせない中国との交易
築港と中国との関わりは1941年に遡ります。私の祖父が神戸で創業し、初めて大きな仕事をいただいたのが当時の丸善鉱油さんです。その丸善さんが中国進出するにあたって、危険物取扱業者が必要になりました。そこで築港上海支店を設立して、丸善石油上海運輸部を担当することになったというのが簡単な経緯です。
その後長い時間を経て、2008年に再度、上海に有限公司を設立しました。今の日本にとって中国との交易は欠かせないものです。危険物に関してもその割合は高くなり、現在、築港の取扱貨物全体の3割強が中国対象です。現地法人の設立は自然の流れといえます。倉庫は置かずに貨運代理としてブローカー的な仕事をしています。主に現地の日系企業対象ですので日本から出ていく荷物のほうが多いのが現状です。
その他アジア諸国のタイ、マレーシア、シンガポール、香港などへはNVOCC(国際複合輸送)を行っていますので、現地に代理店を持つ企業とパートナーシップを結び、各国向けの輸出貨物を扱っています。
貨物でわかる、その国の勢い
物流で圧倒的多いのはやはり中国ですね。中国にも陰りが見えてきたと言われていますが、確かに物の動きは減速しています。ただし、人口の多さを考慮すれば、国内需要がこのまま衰退していくとは考えられません。日本から原料を輸出して、中国で加工してヨーロッパへ輸出するという分野では、ヨーロッパ経済が足を引っ張り停滞しています。しかし、中国から日本に入ってくる貨物に関しては変わっていません。
インドにもこれからの伸びしろがまだまだあります。インドネシアも石油化学産業には力を入れているようですし、シンガポールはもちろんのことです。ベトナムも間違いなく増えてくるでしょうね。ミャンマーもこれから伸びてくる国でしょうが、インフラがまだまだですし、法整備もできていません。「危険物をその辺に放置しておいてもOK」というような国には私たちが出て行く意味がないんです。
まずは商社やメーカーさんが出て行き、工場などを建設してインフラも整備ができて、法規制が実態と同化し、始めて「危険物をどう扱ったらいいのか」という問題が起きてくる段階で私たちの出番がきます。これは他のアジア諸国についてもいえることです。
今後、どこの国と仕事をしていくかと考えた時、ベトナム、タイなどは日本人が理解しやすい国民性ではないかと私は思っています。
ハブ港から出るスポークになる
韓国釜山港は、神戸港だけでなく、東京港、横浜港に比べても取扱高がはるかに多いのは否めない事実ですから、韓国の同業の企業とはパートナーシップをとって協力しています。欧米航路は大きな船がハブ港に寄って荷物を積み替えて、日本に来ます。
釜山を始め、上海、高雄、香港が、今はアジアのハブ港といえるでしょう。この現状を見る限り、今から日本の港がハブになることは恐らくないでしょうね。私はそれでいいと思っています。ハブから出ているスポークになれば、折れない限りは物は動きます。それを支えるのが製造業です。
将来の鍵を握るのは日本の「ものづくり」
中国を始めとするアジア諸国に太刀打ちできる「ものづくり」をすれば、物は流れます。日本のものづくりがどんどん海外へ出ていっていると言われますが、それは事実です。しかし、日本でしか造れない物は、まだ日本で造っているというのも事実です。ものづくりの核となる部分はまだ日本に残っていると感じています。これを守っていかなくては、日本から出ていく物がなくなって、入ってくる物ばかりになってしまいます。そうなっては、日本の将来はないと言っても過言ではないでしょうね。ものづくりを守れるかどうかが、日本の将来の鍵を握っているのです。
厳しい時代、築港に何ができるか。何十年も先、どうなっていくかは分かりませんが、当面は危険物は無くならないでしょう。私たちにできることをやるだけです。
今のアジア諸国には、私たちが出て行くだけの素地がたくさんありますから、世界のネットワークをアジアに絞っていきたいと考えています。
瀬戸口 仁三郎(せとぐち にさぶろう)
株式会社 築港 代表取締役社長
神戸高校卒。日本大学卒。47歳。昭和61年(株)築港入社、平成2年に代表取締役社長に就任現在に至る。
平成11年、社団法人神戸青年会議所理事長を歴任。
神戸市東灘区在住。趣味はゴルフ