7月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.68 ■女優、元宝塚歌劇団星組トップスター■ 湖月わたるさん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第68回は、宝塚歌劇団星組のトップスターとして活躍し、2006年に退団。今年、退団から20年の節目を迎えた湖月わたるの登場です。ソロとなり活動の場を広げ、ダンスに歌、振付など多ジャンルで一層、磨きをかける湖月に20周年に懸ける意気込みを聞いた。
文・戸津井 康之
20周年はまだ夢の途中…トップスターの矜持を胸に
荒野に咲くタンブルウィードのように
「20年を振り返って?一作一作を無心で演じ続けてきた結果、その積み重ねで20年が経っていた…。それが今の私の素直な思いです」
ステージで放たれる華やかなオーラを静かに内に閉じ込めるように、柔和な笑顔で感慨深げにこう振り返る。
それでも、宝塚歌劇団入団以来、〝男役の申し子〟としての期待を一身に担い、その期待通りトップスターとして宝塚歌劇団を牽引してきた圧倒的な存在感は隠しようもない。唯一無二のオーラはソロとなって、更に輝きを増している。
「宝塚で過ごした期間は18年ですから、退団してからの期間の方が長くなりましたね」と語るその視線はすでに次の舞台に照準を合わせていた。
11月6日の兵庫・宝塚バウホールを皮切りに東京、愛知と三都市を転戦するツアーのタイトルは「湖月わたる 宝塚歌劇団退団 20th Anniversary『TUMBLEWEED』(タンブルウィード)」。
〝タンブルウィード〟とは、荒野に生き、風を受けて形を変えながら前へ前へと進み続ける植物―の名前だ。
「まるでタンブルウィードそのもの」と湖月を表現するのが、宝塚時代からの盟友、演出家の荻田浩一。久々に湖月とタッグを組み、今回の公演の構成・演出を担当する。
2006年に宝塚歌劇団を退団後、湖月のはまり役と称されたのが、音楽劇『カラミティ・ジェーン』(2008年初演、2012年再演)で演じたヒロイン、実在した女性ガンマンのジェーンだった。
さらに遡ること約30年前の1997年。湖月の宝塚時代の初主演作『夜明けの天使たち』の作・演出を務めたのが荻田だった。創作当時、大勢いる男役のなかで「湖月にしかできない役柄を」と荻田が考え、描いたのが西部のガンマンの物語だった。
西武開拓時代をしたたかに生き抜くガンマンの雄姿と、宝塚の舞台で男役を演じる湖月の姿とが重なりあったのだ。
記念公演のパート1は、荻田の構成・演出で朗読や歌、踊りが創出され、新しく〝生まれ変わったジェーン〟が14年ぶりに甦る。
したたかに生きる屈強な女性ガンマン…。だが、彼女の魅力はそれだけではない。「結婚し出産し離婚する。そんな一人の女性の生涯を演じたい」と並々ならぬ思いを込めて語る湖月の目の奥に、「20年の成果をこの舞台で演じ切る」という強い覚悟が見えた。
新たなる挑戦
記念公演を控えた9月、ロンドンへ行く計画を立てている。
昨年、舞台『マイ フレンド ジキル』で初めてタッグを組んだ振付師、益井悠紀子の指導を仰ぐためだ。
「ジキルとハイド。そして語り部のアタスン(弁護士)の一人三役を演じ分ける、これまでにない難しい舞台でした」
この〝難役〟を演じるため、益井から受けた独特なレッスンに湖月は強い衝撃を覚えた。
「直前に課題を与えられ即興で踊る。このレッスンが1日2時間続くのです」
宝塚時代からダンスを得意としてきた湖月だが、「これまで経験したことのない独創的なレッスンでした」と振り返る。
最初は戸惑ったというが、「感情を込めながら踊ることで、次第にダンスが立体的に浮かび上がっていく。かつてない新鮮な発見や手応えを掴むことができました」と〝益井の意図〟が理解でき納得した。
記念公演が決まったとき。すぐに益井の顔が浮かび、迷いなく指導を依頼した。
公演前に渡英し、益井に会う理由はもう一つ。「今回、私は振付も担当するんです」。益井から得たインスピレーションを生かし、〝プレーイング・マネジャー〟としてステージに臨む。
憧れのステージに立ち続け
埼玉県で生まれ、幼いころから宝塚歌劇の世界に親しんで育った。
その理由は、「昔から母が宝塚の大ファン。一緒にテレビを見て宝塚の魅力に惹かれていきました」と話す。初めて観客席から観た舞台は『ジャワの踊り子』。間近で颯爽と歌い踊るタカラジェンヌの姿に圧倒された。このとき、「将来、私も必ずこの舞台に立つ…」と心に誓った。小学5年生だった。
このときの決意は固く難関の宝塚音楽学校に入学。しなやかな長身を生かした卓越したダンスの技術と伸びやかな歌声で、誰もがその実力を認める男役として数々の舞台を飾った。そして2003年、星組トップスターに就任。このとき相手役を務めたのは現在、女優として活躍する檀れいだった。
トップスター時代に抱いていた思いを聞くと、こんな答えが返ってきた。
「後輩たちには自分から声をかけたり、励ましたり。誰もが自分が演じたい役を演じられるわけではありません。でも、舞台では、どんな役にも光が当たっている。観客の人たちは見ている。それを伝えたかった」
トップスターだけが頂点から眺めることのできる華やかな景色がある…。観客の多くはそう考えるかもしれない。
だが、湖月の言葉から、その光景をみんなで見るために、トップスターは舞台の影で想像を絶する重圧を背負っていることを知る。
昨年、『マイ フレンド ジキル』で共演し、今回、東京公演のゲストとして出演する宝塚歌劇団の後輩、柚希礼音が湖月についてこんな話をしている。
「(湖月)わたるさんは、いつも誰よりも早く稽古場に来て、練習後は最後まで一人で残って復習をしている。その姿は宝塚時代から今も、まったく変わりません」と。
宝塚の矜持
退団後、湖月にとって『カラミティ・ジェーン』と同じく強く心に残る舞台がある。
退団から2年後に主演を務めたミュージカル『愛と青春の宝塚』(2008年初演、2011年再演)だ。
第二次世界大戦下のころの宝塚歌劇団の物語。娯楽が抑圧され、公演が中止された時代。それでも人々を歌や踊りで励まそうと強く生きるタカラジェンヌ、嶺野白雪(愛称・リュータン)を湖月は熱演した。戦時中の史実に基づいたストーリーで、宝塚ファンだった少年時代の手塚治虫も登場する。
脚本は大石静。公演後、東京で私は大石を取材した。このとき大石が、荻田と〝似た思い〟を口にしたのが強く印象に残っている。
「(湖月)わたるさんは仲間を励まし、人々を喜ばせるために生きる〝リュータン〟そのものです」と語ったのだ。
この話をすると、湖月は「宝塚時代にタカラジェンヌ役を演じることはない。だからこの公演は私にとって、戦時中に宝塚の先輩たちが、どう悩み、葛藤しながら生きていたのかを知る貴重な機会となりました。宝塚の歴史や魅力を深く知ることができました」と語気を強めた。
「今後も多くの後輩にこの舞台を演じてほしい。先輩として強くそう思っています」
更なる高いハードルを課し
ソロとしての湖月の活躍は目覚ましいが、その一つにアメリカ・カンパニーによるブロードウェイ・ミュージカルの日本公演『シカゴ』(2015年)のステージに日本人として立った快挙があげられるだろう。
「その前年に公演された宝塚OGによる『シカゴ』の舞台に出演しました。セリフは日本語でしたが、私は英語の脚本を手に入れました」。理由は「自分が演じるヒロイン、ヴェルマ・ケリーの心情をより深く知りたかったから」だ。
そして英会話教室にも通った。
「公演の練習後、毎日、教室に通っていました。誰にも話さずに…」と明かす。
初日の公演後のパーティーでのこと。
「来年、アメリカ・カンパニーによる『シカゴ』の日本公演が決まったと発表があったんです。〝オーディション希望者は申し出て〟と冗談のように伝えられたのですが、私はこれはチャンスだと思って名乗り出ました」
アメリカ・カンパニーの『シカゴ』のセリフは全編英語。湖月は英会話のレッスンを続け、オーディションに挑み、見事合格。ヴェルマ・ケリーの大役を掴み取ったのだ。
昨年、大阪・舞洲で開催された大阪・関西万博のアメリカ・パビリオンで企画されたステージの上に湖月は立ち、『シカゴ』のナンバーから2曲を英語で披露している。
ヴェルマを演じる際、湖月は役柄を、自らこうイメージし、設定していたという。
「私がこれから演じるヴェルマは、アメリカで育った日本の女性。英語を話すが、黒髪で心は生粋の日本人」だと。
圧倒的な体格を誇り、ネイティブな英語を話す外国人ダンサーに混じっても負けない唯一無二のオーラを放つ湖月の存在感はこんな覚悟から派生している。
ケリー役は「宝塚で男役をこなしていたからこそ演じ切ることができた役でした」とも。
カラミティ・ジェーンにリュータン、ヴェルマ・ケリー…。
人格も国籍も異なるヒロインたちを湖月は舞台の上で体現してきたが、どんなヒロインを演じるときも、その根底にあるものは同じ。小学5年で「宝塚の舞台に立つ」と誓い、18歳からステージの最前線で磨きあげてきたタカラジェンヌとしての揺るぎない矜持と覚悟が、いつもその根底に流れている。
宝塚歌劇団を引退したときの思いを振り返りながら、こう語る。
「もう、やるべきことはすべてやった。だから悔いはない…。そう思ったのですが、新たな舞台が決まり、いざ、そのステージに立つと、まだ私にはやるべきことがある。まだまだ終われない、と思う。この思いは退団後の20年間、ずっと変わらないですね」
宝塚退団後、ソロで舞台に立つことが決まったことを両親に報告すると、笑顔でこう即答されたという。
「きっと、そう言うだろうと思った」と。
初めて舞台に立ってから、まもなく40年―という大きな節目を前に、未だ、湖月わたるは、少女のころに抱いた夢の途上に立っていた。

記念公演の構想について語る湖月わたる

「マイ フレンド ジキル」(2025年)の舞台公演から(東京・よみうり大手町ホール=撮影:岡千里)

「マイ フレンド ジキル」(2025年)の舞台公演から(東京・よみうり大手町ホール=撮影:岡千里)

宝塚時代を振り返る湖月わたる。退団20年は通過点のひとつに過ぎない

湖月わたる(こづき・わたる)
女優。元宝塚歌劇団トップスター。
埼玉県出身。1987年、宝塚音楽学校入学。1989年、宝塚歌劇団入団。2003年、星組トップスターに就任。2006年、宝塚歌劇団を退団しソロとして活動開始。2015年にはアメリカ・カンパニーの来日公演『シカゴ』のヒロインに抜擢、英語で上演し話題を集める。「湖月わたる 宝塚歌劇団退団 20th Anniversary『TUMBLEWEED』」は11月6~8日=兵庫・宝塚バウホール、11月12~14日=東京・よみうり大手町ホール、11月18~19日=愛知・御園座で上演。












