2017年
5月号
5月号
兵庫ゆかりの伝説浮世絵 第三十九回
中右 瑛
生田の森・梶原景季の風流な「箙の梅の故事」
源平合戦の東の砦・生田の森でも、激しい攻防戦の真っただ中にあった。
世に知れた「宇治川の先陣争い」で有名な源氏方の梶原源太景季が、ここ生田の森では平家の軍勢に囲まれて苦戦していた。そのさなか、梶原景季は美しく咲き誇った梅の一枝を、矢を入れる箙に挿して奮迅したという。戦場にあって梅の香をめでる・・・これこそ武士の風流心であり、よきたしなみであると、梶原は風流武士の異名をとった(中央)。その場は、引き返してきた父・梶原平三景時(左遠方)の助太刀で逃れたが、その後、父子は平家の大将・重衡 を生け捕って勲功をたてた。
絵師・歌川芳年は狩野派の筆致で力強く古梅を描き、一方で鎌倉武士の気骨をうまく表現している。どこか、歌舞伎の様式美を思わせて、優雅な武将の風格が出ていて迫力がある。
太平の江戸っ子たちは、軍記ものとしてよりは、文学性に富んだ“箙の梅の故事”の精神性をもてはやした。人形浄瑠璃、歌舞伎などに取り上げられて、今に伝わっている。
ところが梶原は、頼朝の信頼を得て側近に取り立てられたが、頼朝の死後、父の失脚とともに反逆者の汚名を着せられ、葬り去られてしまった。三十八歳という男ざかりであったのに・・・。
世の移り変わりか、人のなせる業なのか、忠臣とまで言われた武士の哀れな最期であった。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。