3月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から⑩ 新子さんからの手紙
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
句集『有夫恋』(一九八七年刊)が話題になり、川柳界の与謝野晶子と呼ばれた時実新子さんは、二〇〇七年三月十日がご命日だった。ちょうど10年になる。
十七の花嫁なりし有夫恋
妻を殺してゆらりゆらりと訪ね来よ
愛咬やはるかはるかにさくら散る
(『有夫恋』より)
わたしは彼女の晩年に交流させて頂いたのだが、なんとも魅力的な人だった。
このほど、戴いた書簡を改めて読み直してみた。さすがに短詩形に生きた人、どれも無駄なく、切れ味の鋭い文面である。
一部を紹介しよう。これは寸鉄といったようなものなので新子さんは公表を許して下さるだろう。
―人間って、かなしいものですね。愛しいものなのですね。―
これは拙詩集『コーヒーカップの耳』への感想で、初めての便りの中の一節。新子さんもまた愛しい人ではあった。
―川柳もそうですが、世間サマでいう“イイ話”は名作になりません。どこかに人間のエゴやワルの部分が入っているとイキイキするのですね。文芸とは善人のするものやおまへんのかも。―
わたしが少し甘いエッセイを書いた時の便り。本音で生きる新子さんならではの言葉だ。
―さて出石アカル(当時のわたしのペンネーム)様の今回は、ちょっぴり減点ですね。筆者がユーモアを先に喜んで答を出しているのが理由です。役者が自分で面白がってはどうかな?ということでしょう。読者は他人ですからネ。毒舌多謝。―
このようにピシッと辛口の評も下さった。
―「かなしい」は人のこころの一番奥に棲んでいる宝石です。これが表現できないからエッセーなんか書いているのとちゃいますか。―
これはわたしを同志と思って下さっている。
―さて川柳◆トライアングル恋の音はさすがに詩人の言葉でした。―
一度だけわたし、川柳を一句作って見てもらったことがある。それへの返事。褒めて下さっている。たしか娘が結婚した時に作ったのだったが、「…トライアングル 恋の音」の上五文字が何だったかは覚えていない。
戴いた約五十通の書簡を読みながらわたしは久しぶりに新子ワールドを味わっていた。
続いて、新子さんのご息女安藤まどかさんが書かれた本『わが母 時実新子』(2013年刊・実業之日本社)を手に取った。
新子さんがまどかさんに宛てた手紙が骨子になっている本である。構成した芳賀博子さんがいみじくも書いておられる。
《川柳作家でエッセイストの時実新子は文の名手でもありました。常に一対一。相手に向かってまっすぐに投げられた言葉は、愛とユーモアとウィットにあふれ、数多の心をわし摑みにしました。》
わたしもわし掴みにされた一人だ。
さすがに娘さんへの言葉は他人のわたしへのものとは趣が違うが、そのままエッセイになる名文であることに変わりはない。興味のある方は本書を読んで頂くことにして、わたしが胸突かれたところがある。新子さんの最晩年の様子である。
《二〇〇六年(平成一八年)七七歳。母と大野さん、ともにたおれる。母はポストへ行くのもままならず、この頃より連絡は電話かFAXのみになる。》
これはまどかさんが書かれたもの。また別に、
《そうして二〇〇七年二月、ホスピスに入院しても、まだ笑顔で看護師さんたちに冗談を言う。じゃあ、ちょっと東京に戻るね、と私が帰京したその三日後のこと。付き添いさんに「もうペンとメモはしまってちょうだい」とつぶやくと、以後二度とペンを握ることはなかった。》とある。
二〇〇六年のいつからか、新子さんは大変な状況になっておられたということ。しかしわたしは、11月12日付のハガキを頂戴している。それは文字の乱れがあり、ことのほか悲しいハガキだ。
一部紹介します。新子さん、お許しを。
―ベッドからコーヒー恋しと通っています。ほんとです。意識もうろうにはスゴイ晴間があって、今日は淡路へ行ってきました。寒い日でしたが、魚の味は満点でした。―
この後も数行続くが、「ベッドから…ほんとです」は新子さんのユーモアですね。悲しいユーモア。淡路行きも多分想像だったのでしょう。
それからしばらく空白の時が過ぎて(電話で話したことはあるが、内容は内緒)、最後に戴いたハガキが平成19年1月18日付だ。どなたかに投函を託されたのだろう。
文面はわたしと新子さんとの間でしか解らないもの。今更に泣けてくる。最後の言葉だけご披露します。
「外は雪か雨か晴かコヨミは何とか一月ですおげんきを寿ぎますH19・1・18」
文芸に生きた時実新子さん、見事な生涯であった。
れんげ菜の花この世の旅もあとすこし 新子
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。