3月号
触媒のうた 13
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字・六車明峰
「何か仕事を、と頼まれましてね、京都伸夫さんの紹介で新日本放送(現・毎日放送)に世話しました」
意外な話だ。宮翁さん、久坂に就職の世話までなさっていたのだ。その頃の久坂は喫茶店などでアルバイトをしていたという。名家のお嬢様だが事情があったのだ。
富士正晴への昭和27年3月1日付のハガキにこうある。
「新日本ハ非日勤シヨクタクにきまりました。」
この時のことだったのでしょうね。
就職を斡旋した京都伸夫は、1914年生まれ、京大卒。戦後、ラジオドラマで活躍した脚本家だ。
京都伸夫を宮翁さんが知った経緯をちょっと。
翁、新聞記者駆け出しの頃、人脈がなくて困っておられた。そんな中、長沖 一(まこと)さんに会い、そのお宅で「阪神ペンクラブ」の名簿を目にし、その月例会に顔を出し、そこで多くの情報を得、水を得た魚のように関西文化人の人脈を形成してゆく。その中に京都伸夫がいたというわけ。
その放送局での話が『久坂葉子の手紙』に度々出てくる。それによるとあまりうまくいってない様子だ。27年4月9日のハガキにはこうある。
「NJB(新日本放送)はイヤな人が多い。本よめず。書けず。考えること出来ず。阿呆なこときかせてくれる人もなし」などと。要するに面白くなかったのでしょうね。そしてついに事件が起こる。
「新日本放送に元NHKのN本という切れ者のプロデューサーがいまして、女性に持てたんですね、取り巻きがたくさんいました。ある時です。久坂が、N本と噂になった女性をいきなりハイヒールでひっぱたいたというんです。そして、傍らの花瓶から真っ赤なバラの花を引きぬいて口にくわえ、悠然と自分の席に戻ったということでした。京都さんが困っておられました」
ところで、宮翁さんが処分したという久坂葉子からのハガキである。百通ぐらいはあったという。わたし、非常に気になります。どんなことが書かれていたのだろう。久坂については今も研究する人がある。もし残っていたなら貴重な資料だ。宮翁さんはそれに対して返事を書いたのだろうか。
昭和20年代前半である。久坂は二十歳前後、宮翁さんもまだお若い。あの神戸の詩人I・Sさんにも一時期、久坂とのラブロマンスがあったやに聞く。久坂は恋多き女性だったという印象だ。宮翁さん、ほんとになんにもなかったのだろうか?で、わたし、下司の勘ぐりを入れてみました。が、宮翁さんの答えはあっさりしたもの。
「返事も出さなかったですねえ。大したこと書いて来なかったし、心に残るほどの内容も覚えてないです。彼女が死んだ時、なんだか虚しいな、と思って捨ててしまったんだと思います。いや、僕はねえ、彼女の小説をそれほどのものではないと思ってました。芥川賞の候補になるほどとはね。ただ、なにか気になる子で、神戸の東門筋にあった喫茶店に連れて行ったりしてました。そこは民芸風喫茶店でね、陶芸の好きな久坂もお気に入りだったんですよ。オーナーは鉄のブローカーをしていた加藤という人でね、須磨寺の尾崎放哉句碑の建立や一弦琴の復活に力を尽くした人でした」
ここからちょっと横道へ。
「そこで会ったのが、異人館「ウロコの館」に住んでた高見重孝(後、至孝と改名)という人で、和時計の修理の名人でした。話も面白くて、僕、仲良くしてました。その関連の人にモディさんというインド人の和時計蒐集家がいましてね」
モディさんは当時有名な貿易商で、オリエンタルホテルに一室借り切って住んでいたのだと。
それに関連して興味深い新聞記事のコピーを提供して下さる方があった。高見重孝氏のご子息、高見和雄氏である。
昭和18年6月11日付の神戸新聞(?)。
見出しに「腕前は世界一 日本の時計師」とあり、時の記念日に関連しての記事。
「オリエンタルホテルのインド人モデイ氏が古い日本時計を蒐集してゐることは有名な話だが、市民の中にもこのモデイ氏に向こうを張る時計の蒐集家がゐる。兵庫区上澤通二丁目二二高見重孝さんが話題の人だ。(略)」
重孝氏は蒐集だけではなく解体修繕の名人だったという。記事にはないが、宮翁さんが直接お聞きになった話では、モデイさんが集めた和時計の修繕をみな引きうけていたのだと。
「もう今では誰も知る人はありませんが、どこかに記録しておきたいことですね。江戸時代のからくり人形の修理などもなさってたそうです」
話が逸れた。今回、久坂のことを書くにあたってわたしは彼女の著書のほぼ全てを読んだ。宮翁さんは「それほどのものではありません」と仰るが、わたしはやはり、女の心の機微を描いて、二十歳前後の女性が書けるものではないと思った。
※長沖 一 =1904年~1976年 東大卒。漫才作家・演出家・放送作家。帝塚山学院大学教授・帝塚山学院短期大学学長も。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。