8月号
神戸新開地・喜楽館一周年記念座談会
喜楽館が街の賑わいづくりの 一翼を担っている!
開館から一周年を迎えた神戸新開地・喜楽館。上方落語協会の笑福亭仁智会長、番組編成委員の桂福丸さん、そして幼い頃新開地で育った建築家の石丸信明さんに加わっていただき、喜楽館について語り合っていただいた。
―不安もあった。でも案ずるより産むがやすし?!
仁智 喜楽館は、兵庫県や神戸市、そして商店街の皆さんの熱意で開設された寄席です。1年前のジャズバンド行進の賑やかなオープニングといい、繁昌亭とはまたひと味違うハイカラな印象の建物といい、神戸らしいですね。上方落語協会としてもそれにお応えして、神戸のお客さんに合う番組を提供するのが務めだと考えています。喜楽館の番組編成委員会には準備委員会から関わってきたメンバーも多く、深い思い入れを持って神戸の喜楽館らしい色を出そうと頑張っているようです。1年たって感慨深いと思いますよ。
―そのお一人が福丸さんですね。1年たった今の感想は。
福丸 1年たった今というより、商店街の皆さんからお話をお聞きして準備委員会に加わったのが4年前、長かった(笑)。まず費用をどうするのか、噺家たちの中には、繁昌亭があるのにもう一つ寄席が必要なのかという意見もありました。さらに繁昌亭でも直面した運営の難しさから経営責任を誰が取るのかなど、問題が次々持ち上がり、何度も挫折しかけました。最終的に商店街の皆さんが「自分たちが責任を持つ」というところまで腹を括られ、そこから話が進んでいきました。
―1年間、なかなか健闘してきましたね。
仁智 200人のお客さんが入る寄席を1年365日、毎日開けるのですから、「大丈夫か?」という不安があったのは正直なところです。協会内でも意見の調整のための話し合いを重ねた時期もありました。ところが意外と「案ずるより産むがやすし」というのでしょうか、うまく回っているようです。ロビーで迎え入れるスタッフの皆さんから、一丸となった一生懸命さが伝わり、高館長も「名物館長になるんや!」とご自身で呼び込みをされていますしね(笑)。昨年8月の広島豪雨災害のチャリティー落語会にもたくさんのお客さんにお越しいただき、ありがたいことだと思っています。
緊張感のある寄席は、若手落語家の研鑽の場でもある
―演者として、喜楽館の印象は。
仁智 繁昌亭とほぼ同じキャパなのですが、お客さんが微妙に近いという印象があります。神戸には流行に敏感な方が多いのでしょうね、落語でも新鮮な笑いに反応していただけると感じています。
福丸 仁智師匠がおっしゃる通り、理由は分からないのですが喜楽館ではお客さんとの距離を近く感じますね。そのぶん、お客さんに見られているという緊張感も強いです。
―若い落語家さんが経験を積む、良い機会になっているのでは。
福丸 そうですね。1週間続けて寄席に出させていただくとして、お客さんが毎日変わるのでずっと同じネタをやってもいいわけです。その日のお客さんに合わせてどういうふうに変えるのかを考えることで、ブラッシュアップする良い機会になっています。またお客さんに応じて、ネタを変更することも必要になった場合にはどう対応するのかも勉強になりますね。
―事前に発表されていないのは、その日のお客さんに合わせてネタを決めるからなのですね。
福丸 はい。決して隠しているわけではないですよ(笑)。
仁智 言ってみれば、寄席はお客さまとの戦いです。個人の落語会とは違う緊張感があり、それが面白さの一つでもあり、噺家にとっての研鑽の場と言ってもいいでしょうね。そういう場所が繁昌亭だけでなく喜楽館にもでき、単純に二倍に増えたわけですから、こんな嬉しいことはないですし、特に若い噺家たちにとってはとても良かったと思います。
寄席には賑わいのある
場所柄が大事
―新開地という場所柄については。
仁智 昔は松竹座もあり、神戸の歓楽街として賑わった土地柄だとお聞きしています。その賑わいが戻るきっかけになるのではないでしょうか。協会が喜楽館の経営に直接関わることはできませんが、街の賑わいづくりの一翼を担っているという責任感を持って今後も協力したいと思っています。
―石丸さんはこの街の近くで育ったそうですね。
石丸 はい。松竹座では横山ホットブラザーズを生で見たこともあります(笑)。
仁智 へー、そうなんですか!
石丸 聚楽館という建物もありました。「ええとこ、ええとこ、しゅうらっかん」というフレーズが口をつきます。上階にはスケートリンクがあり、映画館もいくつかありました。映画評論家の淀川長治さんは、新開地から生まれました。三宮と違い昔は東の浅草、西の新開地と並び称されていました。新開地の街が持っている演芸の街のDNAをもう一度、活性化してほしいものです。
―繁昌亭リニューアルを手掛けられたそうですが、どんな思いを持って?
石丸 繁昌亭は、神戸大学教授でもあった狩野忠正さんの設計です。仁智会長の指導の下、元の建物を最大限に尊重し、機能的に不足していたもの、必要なものを更新しました。ポイントの一つは、従前のチケット売り場を竹で囲んでつくったインスタスポット。将来は、落語家さんとファンが一緒に写真撮影をして、交流出来る場所になったらいいなと思っています。
―建築家として、寄席に必要だと思っておられることは。
石丸 寄席は人が集まりやすい地域にあることが大事。繁昌亭の場合は多くの人たちがやって来る天満宮のすぐそばにあります。土地柄が良くて、いい風が吹いています。その土地が持つ地霊を、人々を笑わせる落語家さんの話芸にどうつなげていくかを一番に考えました。そういう意味では、喜楽館ができた新開地も人が集まりやすい最適な土地柄だと思います。
落語家の原石を発見する
楽しみがある喜楽館
―喜楽館2年目に向けてのお考えは。
仁智 繁昌亭でもリピーターが多い一方、そこから卒業して個人の落語会に行ったり、夜席に行ったりというケースも多いわけです。そうなると昼席をどうするか?団体のお客さんに来ていただくには、スケジュールを組み立てやすくする必要があり改善しました。喜楽館では昼席を卒業したお客さんに来ていただける夜席を、協会も協力して充実させ、さらに新たなお客さんを昼席に呼び込むという流れを作っていけたらいいと思いますね。
福丸 新開地に専門の劇場ができたということは、僕はすごく〝面白い〟と思うのですが、神戸の人たちの〝面白がり度〟はまだまだ低いようです。街の人たちも喜楽館ができたから「これでひと儲けしたろ!」ぐらいの意欲を持って乗っかってきてほしいですね。さしあたり、女性のお客さんにも来てもらえるように、おしゃれなカフェがほしいなあ(笑)。
―喜楽館の楽しみ方は。
仁智 まず足を運んでいただくことですね。落語が面白いと思ってまた足を運ぶと、「この人、面白いな」と思える落語家を発見できて、個人の寄席や夜席で聞いてみたくなります。そう思わせる原石のような若手落語家はたくさんいて、みんな切磋琢磨しながら一生懸命頑張っています。そういう楽しみ方が喜楽館、そして繁昌亭にあると思います。