8月号
思い出深い新開地で再び高座にのぼる喜び
四代目 桂 福團治 さん
─喜楽館の高座はいかがでした。
福團治 お客様方が明るく、演芸を楽しみに来たという感じが伝わってきて、非常に雰囲気が良かったですね。キャパシティも話芸にピッタリだと思います。
─師匠にとって新開地は思い出深い場所だそうですね。
福團治 〝東の浅草、西の新開地〟とよばれていた時代、この街は大変賑わっていまして。僕は20歳くらいの頃になりますか、新開地の寄席で前座で出ていましてね。
─こけら落とし公演の演目も思い出のあるものだとか。
福團治 「藪入り」を選んだのですが、これは若い頃、東京の演芸場で勉強させてもらった時に、先代の三遊亭金馬師匠に直々に教わった話でして。それを上方風に変えて、はじめて高座で披露した場所がここ新開地なんです。
─それは感慨もひとしおですね。
福團治 新開地に寄席が復活したことは、我々にとって大変励みになるのと同時に、芸を育てるには願ってもないことと思います。僕は新開地で芸の勉強をさせてもらって、今日がある訳ですからね。お客様が楽しめるかどうかは、演者の力次第だと思います。お客様に笑っていただけるか、その反応をみて我々が勉強し、研究して、芸を磨く訳ですから、つまりお客様が芸を育てるのです。落語は生の芸ですから、瞬間芸でもあるのです。いまやった間でもって、次ほかで同じようにやってもうけるとは限らんのですよ。お客様の雰囲気や場の空気や何から何まで違う訳ですから。噺家にとって空気を読む力も大切なことです。
─ところで師匠は手話落語の考案者ですが、なぜそれをはじめようと思ったのですか。
福團治 今から40年ほど前、声が出なくなりまして。その時ふと思ったんです。はじめからしゃべれない、聞こえない人もおられると。そこで聴く芸である落語を視る芸に作り替えようと考えたんですよ。見本も手本もないもんですから、聴覚障害のある子たちに見せながら、うけるまでいろいろ研究していきました。反応を伺いながらね。「凝る」というのが僕の性分なんで、うけなかったら晩寝られませんし、そんな日も続きましたわ。どうやったらうけるか考えて、うけたらまた次、次と練っていって、そうやって手話落語が誕生したんです。
─そして視覚障害者のお弟子さん、桂福点さんも神戸で活動されています。
福團治 聴覚芸を聴覚障害者の子に楽しませることができたので、こんどは視覚障害者の子にも落語をと考えまして。彼らは聞く能力にものすごい敏感で、僕の落語にかなり興味をもってくれました。そんなところからプロの落語家を育てようと。それで福点くんがいま活動しています。
─師匠の落語は登場人物の声の表現が巧みですよね。
福團治 落語は地声が基本で、声を変えてはいけないんですよ。弟子に指導するときも声色を変えたらアカンと怒っているんです。僕は声を変えている訳ではなく、リズムやしゃべりの表現で自然とそうなるんです。気分的に人物になりきってくるからそういう声が出てきている訳でして。声を変えないで、高齢者から若者から、男から女から、さまざまな人物を表現する。これもまた話芸の見せどころです。
─人物表現という点では、師である先代の春團治さんも凄かったですね。
福團治 師匠はそれに徹していましたね。本当に登場人物になりきってしまうんですよ。
─さて、喜楽館にはどのようなことを期待したいですか。
福團治 お客様を一人でも多く、無理ではなしに喜んで来ていただけるような会館になってほしいですね。そのためには演者の姿勢、力は欠かせません。僕らにとっても芸の勉強になりますし、励みにもなります。喜楽館は我々の「道場」でもあるんですよ。若者が芸の勉強をするにはピッタリの場所ですね。
─最後に、神戸のみなさまにメッセージを。
福團治 地元で落語の楽しさに触れていただき、街をもっと盛り上げていただきたいと思いますね。
神戸新開地・喜楽館 (新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)
桂 福團治(かつら ふくだんじ)
1940年10月26日生まれ。三重県四日市市出身。1960年 桂春団治に入門し一春、1963年に三代目小春、1973年に四代目桂福団治を襲名。1999年文化庁芸術祭優秀賞、1981年上方お笑い大賞功労賞受賞ほか。主な会は「福団治一門会」「手話落語寄席」「法善寺寄席」「あびこ観音寺寄席」