2月号
触媒のうた 48
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
前号に詩人、有本芳水のことを書いた。その時、出身地の姫路へ取材に行き、シロトピア記念公園の文学碑を訪ねた。その道すがら思いがけず目に入ったのが阿部知二(ともじ)の文学碑。
阿部知二=1903年~1973年。作家・英文学者。メルヴィルの「白鯨」を初訳。少年時代を姫路に過ごし、旧制姫路中学(現・姫路西高校)から後、東京帝国大学英文学科卒。
文学碑には『城―田舎からの手紙』の一節が刻まれている。平成3年建立。字は知二の手ではなく、ご長男の阿部良雄氏によるもの。東京大学仏文科卒。ボードレール研究の第一人者。惜しくも2007年没。
阿部知二についての宮崎翁のお話。
「初めてお会いしたのは、ぼくがまだ国際新聞にいるころでした。戦時中に姫路市坊主町の実家へ疎開しておられて、戦後もしばらくそこに住んでおられました。阿部先生の「城」という小説に古い濠が出て来ますが、そのそばのお家へ度々お伺いしました」
宮崎翁、「阿部先生」とおっしゃる。これは珍しい。大抵の文人を翁は「○○さんはね…」と打ち解けた形で話される。「先生」は富田砕花師などごく限られる。そのことを質すと、「そうですか、気がつきませんでした。そりゃあ阿部先生は“日本の知性”と称されるような立派な方でしたから」と。無意識のうちに敬意を込めておられるのだろう。
「お酒が大変お好きでした。だからぼく、入手しにくい時代でしたが一升瓶をぶら下げてお訪ねしましたよ。すると喜ばれてね。しかし先生は当時思想的に行き詰まっておられたのでしょうか、いつも陰鬱な顔をしておられました。お酒を飲んでも笑顔はほとんどお見せになりませんでした。そのころはアメリカとソ連による東西冷戦の先行きの見えない難しい時代でしたからねえ」
例によって、翁の著書『環状彷徨』から引く。
《少年期を、姫路中学の教諭だった父君とともに姫路に過ごし、戦後の数年をこの市の坊主町に住んだ彼は、この「城」とそれをめぐるこの都市を「日本の中都市の生活というものの一つの象徴として描いた」。激しい歴史の流れのなかで、「過去の分析なくして未来へ進むことは困難だ」と、歴史の象徴であるこの「城」を仰いだ。『城』には、姫路という都市のなかのさまざまな戦後風俗が描かれている。「私たちの現代の生活の中にいかに多くの過去が入りこんで来ており、その古い日本が生活と思想を強く性格づけているのではないか」という反省はさらに姫路を舞台として『黒い影』『人工庭園』などにつづいている。》
少々難しい話だ。時代性を表しているのだろう。阿部知二の陰鬱な顔が想像できる。
さらにこう続く。
《坊主町の旧宅前には「あらゆるものを飲みこみ、融かしこみ、浮べたり沈めたりしながら、その泥水はゆるゆるとほとんど眼に見えぬほどの動きでぼくの眼の前を流れている。まことに善悪美醜を飲みながら流れる歴史のごときものだ」と『城』のなかに描かれた古い濠がある。》
このような所へ宮崎翁は一升瓶をぶら下げて訪問しておられたのだ。そして、
「国際新聞への連載小説を依頼しました。けど、しばらく考えさせてほしいということでした。まだ戦後の混沌とした時代でテーマを決めかねておられたのでしょうか。やがて構想がまとまったのでしょう、中国を舞台にした小説を書くお気持ちで新聞社に来て下さったんです。ところが、ぼくが丁度その時留守にしてましてね、W編集局長(後、福島民報社長)がお相手したんです。そこで何か失礼なことがあったらしいんです。もう書かないということになってしまいました。後にお会いした時におっしゃいました。『あの新聞社は駄目です。あなた辞めた方がいいですよ』と。よほど対応が悪かったのですね。ぼくの努力が無駄になりました」
それでも個人的なおつき合いは続き、後に宮崎翁が編集を任される雑誌「中国読物」に随想を寄稿してもらったこともあったと。
「面白い話をお聞きしましたよ。終戦前のこと、中国にいた阿部先生は危なくなってきたもんだから日本へ帰るんですが、飛行機に乗ろうとしたら自分の席を羽仁五郎(歴史学者。映画監督羽仁進の父親)に強引に奪われてしまうんです。それでご自分はその飛行機では帰国できなかったと。ところが世の中、面白いもんで、羽仁はその飛行機に乗ったために憲兵隊に逮捕され、ご自分は免れる。そんな逸話をお話し下さいました」
羽仁はわたしも若いころ興味を持ち、その著作を読んだことがある。中でも『都市の論理』は当時の学生運動家などに大きな影響を与えた本。しかしわたしには難解で読了できなかった覚えが。
翁が聞かれた阿部知二のエピソードをもう一つ。
「阿部先生が中国の蘇州だったかで人力車に乗られた時のことですがね、こんな話をされました。『車夫がしきりにぼくを振り向いて話しかけるんだ。しかしぼくは中国語が分からない。それでこれはぼくに何かたかる気だな?と邪推してしまったんだ。だから警戒して返事もしなかった。ところが彼は、柳がきれいでしょう、ご覧なさいと言ってたということが後で分かってね、恥ずかしい思いをしたんだ。中国人の車夫への偏見がぼくにあってね』と随分恥じておられました。そのようなお人でした」
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。