2026年
2月号
(実寸タテ8.5㎝ × ヨコ18㎝)

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 117 熊山橋をわたる

カテゴリ:文化人

 なんと、ドリアン助川さんが、岡山の永瀬清子生家で講演をなさるというのだ。
 永瀬清子(1906~1995年)は日本の女性詩を牽引してきた「現代詩の母」とも呼ばれた詩人。
 そこでわたしはドリさん(以下ドリさんと呼ぶ)に「永瀬清子の直筆原稿と書簡を持ってますよ」と「熊山橋をわたる」という詩原稿の写真と共に伝えた。するとドリさん、「その詩は文学碑にもなっている詩で、生原稿は貴重です」と興奮された。
 それならば、とわたしは「永瀬清子生家保存会に寄贈します」とドリさんに託すことにした。

 そのことに関するSNS上でのドリさんの報告。

《たった一つの「熊山橋をわたる」を朗読しました。岡山県赤磐市、詩人・永瀬清子さんの生家で、「逆境と言葉」とタイトルをつけた講演を行いました。
JR熊山駅(山陽本線)を降りて熊山橋をわたり、永瀬清子さんの生家に向かうまでの約30分の道のり、私はたいへん緊張していました。前の晩は故郷の神戸に帰っていたのに、ビール以外は飲まなかったほどです。
なぜなら、私のデイパックに、永瀬清子さんの直筆原稿と書簡が入っていたから。
この文化財は、昨年、詩の朗読イベントを一緒にやっていただいた西宮の詩人・今村欣史さんから託されたものです。1967年、関西文壇の重鎮であられた宮崎修二朗さんと永瀬清子さんとの、ある詩集企画を巡るやりとりの中で交わされた書簡であり、直筆の詩原稿「熊山橋をわたる」なのです。
1948年に発表された作品に推敲を加えた、新しい、また唯一の「熊山橋をわたる」。どこが書き直されているのかわかるよう、壁に詩原稿の投影をしての朗読となりました。
そこには、もとはなかった「孤独」という文字が加わっていました。今村欣史さんから託された直筆原稿と書簡、無事に永瀬清子生家保存会に寄贈となりました。
58年ぶりに生家に戻ってきた手紙と詩。「お帰りなさい」の声もあり、皆さん、大喜びでした。》

 わたしは心から良かったと思った。その原稿と書簡は元々宮崎修二朗翁から「あなたの御自由に」と託されていたもの。しかし、わたしが持っていても文字通り死蔵になってしまう。いい機会を与えられたのだった。宮崎翁もさぞ御納得だろう。

 ドリアン助川さんについて少し。
 樹木希林の主役で河瀨直美監督により映画化された「あん」の原作者である。小説「あん」はハンセン病をテーマにしたもので、2013年の出版以来、世界中で翻訳され今もまだ広がりを見せている。
 今回の講演会もハンセン病が取り持つもの。
 生前の永瀬がハンセン病への理解が深く、ハンセン病療養所「長島愛生園」に長年通って元患者たちと交流を深め、偏見で苦しむ入所者に詩を書くことで生き伸びて欲しいと支援を続けたという。
 そういう共通点があっての今回の講演だったのだ。

 ところで、原稿「熊山橋をわたる」は、宮崎修二朗編集の『日本の旅・名詩集』(三笠書房・1967年刊)の求めに応じて書かれたものだが、刊行された本にはこの詩は収載されておらず、「美しい三人の姉妹」という永瀬の詩が巻頭を飾っている。
 そうなった理由は、書簡を読むと想像できるがここでは省く。
 「熊山橋をわたる」の後半部分を引いておこう。これは世に発表されたものではなく、寄贈した生原稿のもの。何カ所かが修正されている。ドリさんが「たった一つの」という所以だ。全文が読みたい人は「永瀬清子生家」へ。

いま一九四八年に入ったばかり
鳴ろうとする琴のような新しい年よ
お前は多分何かよい魔力をそなえているな。
その一ふれで
忽ち私は戦争にへだてられて逢わなかった人々にもう逢った。
過ぎる年押しながされたこの橋もふたたび渡ることが出来た。
お前は力のあるものらしいな
複雑なみのりをもたらすものらしいな
熊山橋を渡ってそれを信ずる。

(実寸タテ8.5㎝ × ヨコ18㎝)

■六車明峰(むぐるま・めいほう)

一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。

■今村欣史(いまむら・きんじ)

兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。

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