9月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第111回
高齢者の終末期を考える
─終末期とはどのような時期と定義されるのでしょうか。
藤原余命や病気の進行度といった医学的ものさしだけで終末期や終末期医療の対象となる人を定義することは困難です。海外での研究においても患者の余命が数年から数日のものまであり、終末期に明確な定義はないことが示されています。
─我々日本人はより良い命の終わり(good death)をどのようにとらえているのでしょうか。
藤原日本におけるがん患者を対象としたgood deathの研究では18の領域が示され、多くの患者が希望するものをコアテン、個人によって意見の分かれるものをオプションエイトと呼んでいます(図1)。人が自らの死を生物的な死だけとはとらえておらず、死に付随する「痛みや苦しみ」といった身体的な症状とともに、社会的な人間として精神的な面からも死をとらえていることがわかります。また、本人だけでなく家族や大切な人の苦しみも和らげたいとの思いがあることもわかります。従来の医療現場では多面的な人の死において医学・生物学的な情報のみを抽出しがちであったとも考えられます。ですから、終末期医療においては患者や家族が望む医療・ケアについて、意思決定を支援する仕組みが重要となるでしょう。
─具体的にはどのような取り組みがなされてきましたか。
藤原そこで、より進化したものとして欧米ではアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の考え方が発展してきました(図2)。ACPでは患者さん本人の気がかりや意向、価値観や目標、病状や予後の理解などについて話し合いながら具体化していくプロセスこそが重要となってきます。
─事前指示の弱点が明らかになったのですね。
藤原従来、世界的にも患者本人の意思の推定が困難な場合に、本人の意思に反した医療処置や搬送が行われる可能性があることが問題とされてきました。これに対し、自分が意思決定できなくなった時の代理人を指名する「代理人指示」と、治療に関する具体的な希望を記録する「内容的指示」を含んだ人生の最終段階における事前指示書(アドバンス・ディレクティブ)が有効であると考えられました。しかし、事前指示には「個人の意思の変化のみならず、医療技術の進歩や医療制度の変更に伴い医療環境も変化していくため、事前指示書のみでは対応が困難」、「個別の医療行為に関する事前指示をすべての状況を予測して準備することは不可能」などの諸問題があることがわかってきました。
─ACPを実践する上で、どのようなことが大切ですか。
藤原患者さん本人の意向を所定の書式のチェックボックスに記入し、本人が署名すれば出来上がりとする方法は適切ではありません。大切なことは書面を作成することではなく、本人や家族と対話を重ねることにあるからです。また、患者さんの気持ちは病状により変わるものであり、ACPも変更可能であることを伝え、病状の変化時などには適宜再確認することも重要です。新型コロナウイルス感染症により死亡に至る場合、発症から死亡までが3週間未満と非常に短いことが報告されていますが、このような急速に悪化する病態では、患者さんが受けたい医療について考えたり家族と話し合ったりする時間的余裕はないと思われます。このため、海外においても事前に自らの人生の最終段階について話し合っておくACPの普及の必要性が高まっています。また、患者さんや家族の苦痛を和らげるためにも、ACPの実践において本人や家族が本心を打ち明けられるような専門家たるべく我々医師が研鑽を積むことも大切だと思います。
─ところで、終末期の医療費が問題になっているようですが。
藤原雑誌「文學界」2019年1月号の「終末期医療が医療費を圧迫」という対談の中で、落合陽一氏と古市憲寿氏は国民医療費削減のために高齢者の終末期医療をカットすることを主張し、多くの批判を浴びました。このような主張は以前から散見されますが、データや文献をもとに検証してみましょう。(図3)は富山県の1998年から2003年のレセプトデータを用いた鈴木氏の研究において、亡くなる前の1年間で1人当たりどのくらいの医療費がかかったかを月別に示したグラフです。
─確かに死亡前3か月くらいから医療費が急上昇し、最も増加するのは死の1か月前ですね。
藤原しかし、この部分を減額しても医療費の大幅な削減に結び着くかは疑問です。同研究において、1年間の総医療費に占める終末期医療費の割合は10・4%に過ぎませんでした(図4)。また、医療経済研究機構は1998年の全死亡者の死亡前1か月間の医療費は国民医療費の約3%と報告し、厚生労働省保険局も2002年の死亡前1か月間の医療費は同年度の医科医療費の3・3%であると公表しています。死亡前1か月間の医療費には脳卒中や心筋梗塞等に対する急性期医療費も含まれているので、慢性疾患や癌の末期などの本来の意味での終末期医療費はさらに少ないと考えられます。また、2007年の日医総研の調査では、70歳以上の死亡前1か月間の入院医療費は同年度の高齢者医療費の3・4%と推計しています。このように、死亡前医療費の総医療費に対する割合が総死亡でも70歳以上の高齢死亡でもほとんど変わりません。
─つまり、高齢者の終末期に特別に濃厚な医療がおこなわれている訳ではないのですね。
藤原重要なことは「日本社会全体としてどのような医療を選び取っていくのか。国民や支払い側が求める医療レベルに対して費用はどれぐらい必要であるのか」について丁寧な議論を重ねることではないでしょうか。
─日本の健康長寿政策について、先生はどう思われますか。
吉田 わが国は国民皆保険やフリーアクセスなど素晴らしい医療保険制度が確立しており、病気になってもすべて国家が保障してくれるためか、個人の不健康習慣に関しては無頓着で、医師の役割はもっぱら病気になった患者さんを元に戻す努力をすることになってしまっているのではないかと感じます。ですから、社会を挙げて健康ブームを起こし、正しい方法で疾病を予防し、健康長寿が達成できれば素晴らしいことではないでしょうか。確かに課題もありますが、健康を保つことに対して企業や個人が価値を認め、その方法論に金銭的な価値を付与し、開発競争をおこして産業化することは間違いではないと思います。