3月号
日本の伝統文化のために みんなの広場「凱風館」
神戸女学院大学名誉教授
多田塾甲南合気会
内田 樹さん
―東灘の住吉に完成した「凱風館」は、内田さんの夢が形になったものですか。
内田 20年来ずっと道場を持ちたいと思っていたのですが、ここ数年で条件が整って実現しました。建築家に木造建築専門の工務店を3店選んでもらい、それぞれの建物の写真を見て、中島工務店に決定しました。
―建物はどういう造りになっているのですか。
内田 1階は道場、2階に寝室や食堂のあるプライベートスペースと、書斎と客間のあるセミプライベートスペース。学生や卒業生や道場の門人たちがよく集まって宴会をやりますから、客間には客用のキッチンも造りました。
―道場は能楽堂でもあるそうですね。
内田 妻が能楽師ですし、僕も観世流の能を習っていますので、稽古用の舞台を作りました。奥の壁に友人の画家に老松を描いてもらい、三間四方畳を上げれば能舞台としても使えるようにしました。
―この道場では、思想塾もやってらっしゃるそうですね。
内田 退官するまで大学院で8年間続けていたゼミに毎年参加していた社会人メンバーから、ぜひ続けてほしいという声があったので、道場に座り机を並べたら30人は入れるので、この四月からゼミを再開することにしました。
―道場ではほかにもいろいろ企画をされているのですか。
内田 武術家の甲野善紀先生、光岡英稔先生、ヨガの成瀬雅春さん、能楽師の安田登さん、といった身体技法の専門家を講師にお招きして講習会を開いてゆきたいと思っています。1月には百人一首大会を開きました。これから恒例行事にしようと思っています。
―一般の人でも借りられるのですか。
内田 いまのところ貸し出しする予定はありません。凱風館は日本の伝統文化のために造った空間で、神棚がありますし、老松もある。開祖植芝盛平先生の写真も掲げています。いまはこの空間に礼を尽す気持ちがあるものだけでていねいに使っています。ただの場所貸しのつもりで使われると、せっかく浄化した空間の気が乱れますので・・・
―内田さんと武道との出会いは?
内田 10歳の時に剣道を習ったのが最初です。その後、空手や少林寺拳法をかじって、25歳で合気道に出会いました。
―合気道に魅了された理由とは。
内田 師弟関係に憧れがあったんです。全幅の信頼をおける師に仕えたいという見果てぬ夢があって、結果的にどこにも落ち着けず放浪していたわけですけれど、偶然、家のすぐ近くに多田宏先生という世界的な武道家が道場を開いていた。もちろんそんなこと知らずに入門したわけですけれど、生涯の師にそこで出会いました。
合気道の魅力は、競技化しなかったおかげで伝統的な武道の純粋さをとどめているところだと思います。競技武道だとどうしても強弱勝敗巧拙が気にかかる。合気道は競わない。自分が持つ潜在的な能力を開発するのが目的ですから。格闘技よりは、瞑想や座禅やヨガにむしろ近いかも知れません。自分の身体という「自然」に好奇心と敬意を抱いて踏み込み、そこに潜在する数理的な秩序を発見する。相手と組むのは、切ったり、とらえたりという条件を課した方が自分のやっていることの意味がわかりやすいから。わずかな工夫が大きな出力変化になって目に見えるからです。
―どんな人にお勧めですか。
内田 誰でもできます。でも、自分の身体を自分の所有物だと思ったり、相手を痛めつけたり傷つけたりすることを喜ぶ人はあまり向いてないです。身体は自然の一部です。本来は誰の所有物でもない。身体に対する敬意がない人には武道は不向きです。
―男女どちらが向いていますか。
内田 女性のほうが上達は早いですね。腕力や闘争心で何とかしようという迷いがないから。素直に術理の通りに動いてくれる。大の男を投げ飛ばして、「自分にこんな能力があったんだ!」とびっくりする。20年間にわたってたくさんの女性に合気道を教えてきましたが、「気とは何か?」とか訊いたりしません。理屈を気にするのはたいてい男性。科学的な根拠が示せない術理でも、女の人はスッと受け入れる。
―でも、いまだに社会は男性中心ですね。
内田 社会そのものが〝男性仕様〟で造られていますからね。勝敗とか強弱とか、数値的・外形的に分かるものを基準に格付けするのが男性社会。女性はそれとは違う社会機能を担っていると思うんです。男性社会で女性が社会進出を果たすためには「男性化する」しかない。勝負を争い、強弱にこだわり、権力や財貨や文化資本を獲得することを「女性の社会進出」といってほめたたえるのは僕はちょっとおかしいと思います。
―内田さんはネットを非常に上手に活用されていますね。
内田 インターネットがなければ物書きにはなれなかったです。1998年から書いていたホームページを京都の出版社の人が見て、それが本になったのが始まりです。
―ネットに潜む落とし穴についてはどう思われますか。
内田 匿名性が問題ですね。ネット上で自分を強く見せたがる人は必ず攻撃的になります。世間の人が大切にしているもの、敬意を抱いているものを足蹴にし、唾を吐きかけるようなことを書く。たしかに偶像破壊的な言葉によって、そのものの価値は目減りするんです。すると自分が何か強い社会的影響力を発揮したような気分になる。それがもたらす全能感にアディクトしてしまう。ネットにはまって心穏やかで思慮深い人になるということはまずないですね。たいていの人は過度に攻撃的になる。素のときはさっぱり社会的影響力がないけれど、ネット上ではその破壊的言動によって有名人という人がけっこういる。その達成感が、生身の一個人として、固有名を持って生活し、家族と暮らし、仕事をし、地域社会に住む正味の自分を人間的に成長させていく努力をかえって損なってしまう。ネットは素晴らしい発明ですが、その分だけ強い反作用を持っています。その危険性に対してまだ警戒心が足りないと思います。
―ネットとどう付き合えばいいのでしょう。
内田 ネット上で飛び交っているのは結局はただの電磁パルスですから、ブロックしようと思えばクリック一つでできる。ネットにアクセスしなければ、ネット上の言葉なんか無いと同じです。ネット上での言論は強い力を持っているように見えますけれど、実はそれほどの力はない。「アラブの春」でネット情報がずいぶん高く評価されましたけれど、僕はいささか過大評価だと思う。たしかにネットで革命は起こせるかも知れない。「壊せ」というすぐメッセージは伝えられるから。でも、体制を破壊した後、平和で穏やかで、人々が互いに気遣い合う社会を造るにはどうしても生身の身体が必要になります。社会の再生は、どれほど非効率でも身近な隣人たちとの結びつきから始めるしかない。
―神戸、阪神間に暮らしておられますが、どういう印象をお持ちですか。
内田 神戸っ子だった母から、戦前の神戸は良かった、しゃれた街で、食べ物が美味しくて、六甲に登ったり、三宮に映画を見に行ったりという話をよく聞かされました。だから、「いつかは阪神間で暮らしてみたい」と思っていました。たまたま神戸女学院に職を得て、今ではすっかり根をおろしています。人が少なくて、流動性がない分、隣人に対して寛容ですね。人間的な尺度で考えると、暮らしやすいスケールと活気だと思います。
―南からの暖かい優しい風と言う意味の「凱風」ですが、今後もみんなの広場として発信を続けてください。
インタビュー 本誌・森岡一孝
内田 樹(うちだ たつる)
1950年東京生まれ。1975年東京大学文学部仏文科卒業。1982年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。1982年東京都立大学人文学部助手。1990年神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授、96年より教授。2011年定年退職。同年、神戸市東灘区に武道と哲学研究のための学塾凱風館を開設。