6月号
もっと知りたい西神インダストリアルパーク 第2回
50年を越えるベストセラー ぼんち揚
昨年9月に新社長に就任した遠藤純民さんに創業80年、「ぼんち揚」50年の
歴史や揚げ菓子のこだわりをお聞きした。
油で揚げたおせんべいの食文化を関西へ
昭和6年。竹馬治郎が東京で中央軒を創業。昭和27年、第二次世界大戦で大きな損害を受けた中央軒(ぼんち株式会社の前身)を大阪で再興しました。52年前、うるち米を使ったおせんべいを揚げるという文化がまだ関西には根づいていなかったころです。
創業者は改良に改良を重ね、「ぼんち揚」の前身「揚小丸」を開発しました。味付けには薄口しょうゆ、かつおと昆布のだしを使ったことが関西文化にマッチした理由でしょうか。昭和38年、山崎豊子さんの小説からヒントを得て、「ぼんち揚」と命名したのも、関西で親しまれるようになった理由の一つかもしれません。
また発売当初は今と違って油の管理が難しく、酸化との戦いが創業者にとって大変な苦労だったようです。油メーカーさんと共同で劣化を防ぐための研究を重ねて、酸化に負けない揚げ菓子を開発してきました。
関東へ行っても「ぼんち揚」は同じ味です。関東向けには濃口醤油を使ったものを販売していますが、パッケージを見ただけではっきり区別できるようにしています。関西人にとって「ぼんち揚」の味は関西の「この味だけ」なのです。
お米にこだわり、大切にする「一粒主義」
昔は、お茶碗に一粒でもご飯を残したら怒られたものです。その気持ちで、「一粒たりとも無駄にせずお米は大切に使いましょう」というのが工場の従業員に対しての「一粒主義」です。お客さまに向けては、「厳選したお米の一粒に心を込めて作っています」というメッセージです。
私どもは、お米には非常にこだわりを持っています。主に新潟県、山形県、北陸地方産の水分を多く含んだお米を、ふっくらしたぼんち揚げの原料として厳選しています。新幹線や飛行機のない時代、創業者が一人で産地を歩き、求めたうるち米です。
神戸工場では、九州佐賀県の産地限定で「あられ」の原料になるもち米を扱っていますが、同じように一粒、一粒を大切にしています。
米菓を若い人たちにもっと食べてもらいたい
お陰さまで、「ぼんち揚」をはじめ長年親しまれている定番商品は数多くあります。しかし、時代にマッチした新商品も必要です。そこで2年前、東京にマーケティング部を立ち上げました。新製品一押しは「おじゃこ揚げ」です。時代は健康志向ですから、特に女性向けを意識して開発した商品で、なかなか好調な売り上げです。若い人をターゲットに「メープルシュガーせん」「ソース揚げせん」など新製品を発売していますが、お客さまの評価を今、楽しみに待っている段階です。
「ぼんち揚」の製造・出荷は神戸工場だけ
ぼんち㈱神戸工場はここ、西神工業団地が開発された当初、一番に工場設置の名乗りを上げて昭和59年から操業を開始しました。今では当たり前のことになっていますが、当時から環境への配慮が義務づけられ、先進的な工場団地だったと思います。水は処理してから排水し、燃料は天然ガスを使います。正直、ランニングコストは幾分高くつきますが、環境に配慮した体制でスタートできたことは、今となっては良かったと思っています。
「ぼんち揚」は、うるち米が山形と東京の工場で型抜き※まで加工されて神戸に届きます。それを乾燥させ、揚げて、味付けをして、もう一度乾燥させ、包装して、全国に向けて神戸工場から出荷されています。
新社長の意気込み
揚げ菓子一筋で売上高100億円を目指す
4年後を目処に売上高100億円を数値目標として掲げています。そのために必要なことは「選択と集中」。難しい時代ですから、「あれも、これも」と欲張ると全てが中途半端になってしまいます。「焼いたおせんべいやあられも開発してはどうか」という声もあります。しかし、私どもは「揚げた米菓ではトップメーカー」という自信と誇りを持っています。
やはり今は揚げ菓子に特化してコストを追求し、できるだけリーズナブルに美味しいものを提供するべきだと考えています。その中で、「売れる」と分かった商品は、マーケティング部、営業・製造担当、皆の力を集中して販売し、家族だんらん皆で楽しんでいただける定番商品を一つでも増やせるように努力していきたいと思っています。
遠藤 純民さん
ぼんち株式会社 社長
1960年生まれ。1982年関西学院大学経済学部卒業。同年、芙蓉総合リース株式会社入社。1986年ぼんち株式会社入社。2003年常務取締役、2005年専務取締役、2011年代表取締役社長就任、現在に至る。