7月号
イメージと感性を科学する
関西学院大学 理工学部 人間システム工学科
教授 長田 典子さん
感性工学。あまり馴染みがないが、その成果を私たちは既に目にして、耳にしているらしい。この分野の第一人者で、平成25年度文部科学大臣表彰科学技術賞を受賞した長田先生がラボを置く、関学神戸三田キャンパスを訪ねた。
―感性工学とは聞きなれないのですが。
長田 ものが充足された現代社会ではQOLへの関心が高まっています。生活の質の向上や心の豊かさに科学がどのように寄与できるかという研究です。
―研究を始めたきっかけは。
長田 日本発の学問、感性工学を始めた3人のうちの1人、阪大の先生の音楽に関する研究の講演を聞きに行き、「私もこんな研究がしたい」と思ったのがきっかけでした。25年前、当時はマイナーな分野でしたが、15年ほど前に「日本感性工学会」ができ、感性工学に関する学部が全国の大学で新設されるようになりました。
―具体的に何から始めたのですか。
長田 三菱電機で検査機器の研究開発をしていた私のところへ田崎真珠さんから、真珠の自動鑑定装置の依頼がありました。真珠鑑定士さんのお話を聞いていると、匠の感性というのでしょうか、なかなか奥深い。そこへコンピューターグラフィックスでのシミュレーションやデータ解析を取り入れ、人と物体の両方を測り、人はどういうところを見ているのか、どういう品質の真珠に価値を認めるのかを鑑定する装置を開発しました。これが私の中で感性工学につながり、阪大博士課程井口先生の下で勉強を始めました。
人の快適さを科学で解明する
―研究の成果が身近なもので製品化されているのですか。
長田 今年4月に「LEDシーリングライト」がパナソニックで製品化されました。時間帯やシーンに合わせてすっきり感やくつろぎ感を高めるには、どういう色をどんなふうに照射するか、LEDをどう配置するかなどを、人の脳波と物理的要素の両方で測ります。
また、三菱電機のナノバブルのお風呂「ホットあわー」では、実験用バスタブに1人約3時間、1カ月に延べ100人くらいの学生たちに入ってもらい、どんな泡をどう出せばもっと快適になるかを数値に表わしていきました。その他今までに、オリンパスの、人を感動させる写真を作る画像処理ソフト、地元企業パトライトの、認識されやすい点滅灯…等々、色々あります。
―企業との共同研究が多いですね。
長田 5年ほど前から急速に増え、ここ5年間で20社、その3分の1は製品化されました。現在も10社程度と継続しています。ビジネスの現場で役立つと認識していただけるようになったのでしょうね。
―ピアノ演奏の解明もなさっていますね。
長田 初心者が上達するための手の動かし方や練習方法、先生の教え方、プロが腱鞘炎にならないための練習方法などの解明です。その結果分かったことは、スキルの一番大きな指標はそれぞれの指が独立して動かせるかということ。このスキルは指ではなく脳に宿っていて、脳が的確に指令を出すメカニズムに変わればスキルも上がります。そして、筋肉の使い方や、演奏動作、やる気も大きく関わってきますから気持ちなどをトータルで測ります。
―なぜ、ピアノ演奏の研究を始めたのですか。
長田 検査機器の開発という〝カタイ〟ことをやっていた私が大学に来て、学生の興味がわく研究はないかと考えました。私自身、音楽が好きで研究したいと思っていましたが音楽研究では後発ですから、ピアノを弾く動作の研究という新しい分野に目を付けました。まず楽譜を見てCGでピアノを弾く動作をするバーチャルピアニストを作ろうと思いました。すると「のだめカンタービレ」アニメ製作スタッフから技術を使いたいとオファーがありました。1作目のピアノ演奏シーンが酷評を受けたそうです。2作目、3作目はとなりの巳波研究室といっしょに動作計測の方法と既に録音済みの音に合わせた演奏に情報処理技術を使い、アニメらしい加工を施して演奏シーンを作り、クオリティーがグッと上がりました。
感性をくすぐる仕掛けができる人
―長田ラボのメンバーは。
長田 現在、学部生約10人、大学院生13人、システム、視覚心理、音楽学などの専門分野を持つ研究員が専属3人と外部スタッフ2人です。
―学部の授業ではどんなことを教えているのですか。
長田 1年生の数学では線形代数やプログラミングなどを教えています。3年生からは感性を科学する基礎、例えばポテトチップスのイメージ実験と実際に食べる実験を比べることで、「美味しそう」と「実際に美味しい」の違いを科学的に実証し、美味しそうなイメージを持ってもらうにはどうするかを考えます。
―卒業後、役に立ちそうですね。
長田 広告代理店や映像系の業界に入った卒業生もいます。直接役立つ業界でなくても、この授業で学んだことを頭の片隅のどこかに置いて、例えば製品のスイッチの位置をちょっと変えたら使いやすくなる、色をちょっと変えたら楽しいデザインになるなど、人の感覚や感性をくすぐる工夫をして製品の価値をグッと上げることができる人、コストパフォーマンスしか言わない上司に、「ちょっとコストと時間をかけて工夫をしたら製品の魅力が上がります!」と言える人になって欲しいと思っています。
―色々な要素がある学問ですね。他学部とも連携しているのですか。
長田 社会心理、経済学、マーケティングなど様々な分野が関わってきます。文学部心理学科や経済学部と一緒に研究もしています。上ヶ原キャンパスでは、全学対象に新ファッション学を開講しています。テーマはアナログと感性にデジタルを加えたファッション。実学的な講義をして、最終的に学生がブランド企画を発表し、審査して表彰します。こんな授業が理工学部にあることは学生にとって驚きのようです。
感性工学のお手本は芸術の中にある
―この学問を志す人へのアドバイスはありますか。
長田 感性を突き詰めると芸術にたどり着きます。アーティストは、人の脳を知っているから人の心を動かすものを作れるんですね。科学で感性を解き明かそうとしている私たちのお手本はアーティストであり、その作品です。小さい時から、ほんものを見たり聞いたりしてセンスを養うことが大事だと思います。
―今後の研究について。
長田 次の課題はモチベーション。やる気を科学して高めていける製品や考え方・方法論を確立できれば人の幸せにつながるのではないでしょうか。モチベーションが上がる時、脳の中ではどんな現象が起き、どんな方法にどう反応するかなど研究を始めています。モノ相手とは違って、人間相手の科学ですから皆それぞれバラバラです。そのバラバラをどんなふうに〝ものさし化〟するか、人間のタイプに着目した色々な方法論がキーポイントです。一つの結果が効く人、効かない人、好きな人、嫌いな人など様々。個人に合った方法をリコメンドできるようになれば、感性を科学した結果をものづくりやマーケティングだけでなく、教育や医療の現場でも有効に使っていけると思っています。
―今後の成果を楽しみにしています。ありがとうございました。