5月号
第三回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵
中右 瑛
姫路城に伝わる「古井戸お菊伝」
姫路城には昔から伝わる古井戸がある。この古井戸には悲しい伝説が秘められている。殿様と腰元の悲劇だ。この物語はさまざまに脚色され、歌舞伎や講談百物語にも登場する。
さる藩主の下屋敷に奉公していた美しい腰元・お菊は、同じ屋敷にいる若侍と相愛の仲になっていた。そんなお菊に横恋慕した殿はある日、手ごめにしようとしたが、殿の思いは叶えられなかった。
それ以来、お菊は気まずい毎日を過ごしていたが、ある日、家宝の皿を一枚、二枚……と確認している内に、その一枚をふとした過ちで割ってしまったのである。皿は南蛮渡来の貴重な十枚揃いのもので、一枚だにおろそかにはできない。お菊は思案に暮れた。殿は日ごろ邪険にされた恋の恨みを晴らさんと、お菊を手討ちにして、死骸を古井戸に投げ込んでしまった。
それからというものは、この古井戸に夜な夜な女の亡霊が現れるという。お菊は殿への恨み……また恋人に会いたさに……。古井戸の底から、一枚…二枚…三枚…と、皿を数える女のかすかな声が聞こえてくるのである。
「お菊伝」は、『播州皿屋敷』という芝居にもなった。
播州姫路の城主・細川政元は家宝の宝を盗まれ、それがもとでお家騒動にまで発展する。細川家の老臣・舟瀬三平の活躍で皿は取り戻すことは出来たが、悪家老の青山鉄山は、殿の政元を毒殺しようと計画し、その陰謀を舟瀬三平の妻・お菊に聞かれてしまった。鉄山は皿の一枚を隠し、その罪をお菊に負わせて殺害し、死骸を井戸に投げ込んだのだ。その後、お菊は亡霊となって鉄山に復讐し、お家の危急を救った、という筋書きである。
大正期の岡本綺堂作『番町皿屋敷』では、旗本・青山播磨と腰元お菊の悲恋物語に発展する。お菊は男の心を試そうと、一枚の皿を故意に割る。ただ一途に愛した女に誠実を疑われた男・青山播磨。男と女の心の葛藤が芝居の深淵になっているのである。心乱れた播磨は、遂にお菊を手討ちにするのであるが、もうここでは亡霊は登場せず、男と女の微妙な心理を追求しているのである。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。