3月号
早逝の女流作家 久坂葉子はとまらない|vol.8 久坂葉子水晶
私が神戸に住んでいた一九八○年代には、久坂葉子を直接知る人がまだ多く存命していて、いろいろ話を聞くことができた。
久坂葉子の山手高女の同級生、熊野允子さんの母親、節子さんにも話を聞いた。久坂葉子は節子さんを深く慕っていて、自殺の当日に書き上げた「幾度目かの最期」も、彼女への告白の形で書かれている。八十歳を超えていた節子さんは、グランドピアノを置いた洋室に座り、久坂葉子の思い出を静かに語ってくれた。
「澄ちゃんが亡くなる数日前、この部屋でクリスマスパーティ兼ピアノの発表会をしたんです。部屋の隅で暗い顔をしてたから、お寿司でも食べなさいよって勧めたら、少しつまんでました。何か弾いたらって言うと、アルベニスのタンゴを上手に弾いてましたよ」
允子さんが「川崎さんは男っぽい雰囲気で、上級生にも下級生にも人気がありました。嫌いな科目は白紙で答案を出したりして、二年生くらいから学校には来なくなりました」と言うと、節子さんは「そのころ、澄ちゃんはもう大人でしたね。いっしょに六甲山に登って、ススキ野原に座って二人で煙草をふかしたりして」と話してくれた。
自殺の当日、節子さんが夜にひとりで部屋にいると、窓の外に人の気配があったらしい。節子さんは久坂葉子だと直感したが、結局、家には入って来なかったという。
神戸の旧居留地にある古いビルの二階に、「ゴムクラブ」という天井の高い喫茶店があり、久坂葉子がよく訪れていたと聞いて、マダムの鈴木希世恵さんにも話を聞いた。
「ちょっと休ませてって、階段を上がってくるんですよ。そこで寝てらっしゃいと言うと、奥のソファで寝転んでました。〝ぼうや〟っていう男の人がそばにいたみたいですね。そのことはお家の人もご存じなかったんじゃないでしょうか。家を出てしまえばもうどこへ行くのも気ままで、当てなどないって感じでしたから」
自殺願望についてはこう話してくれた。
「死ぬってのはしょっちゅう言ってましたね。彼女にはいい先生がいなかったんじゃないかしら。だれかしっかりした人が横にいれば、死なずにすんだかもしれません」
この発言は、富士正晴の存在を知る私には意外だった。しかし、鈴木さんにはそう見えたのだろう。
もう一人、意外な側面を語ってくれたのは、神戸中央合唱団の服部一也氏である。久坂葉子は十七歳から十八歳にかけてこの合唱団に所属していた。アルバムにあった合唱団関係の写真を見せると、服部氏は久坂葉子が男性の後ろに座り、斜めにこちらを見つめる写真を見て、「そう、こんな感じでした。じいっと黙ってこちらを見てるような」と言った。
「あのころ川崎君は最年少で、あまり目立ちませんでした。服装も地味で、どちらかというともっちゃりした感じで、振り向くような美人やなかったです」
合唱団に在籍中にも自殺未遂をしているので、そのことを聞くと、服部氏は意外そうに首を振った。
「自殺未遂のことはまったく知りません。死にたいというのも聞いたことがないし、だから六甲駅で自殺したときには驚きました」
VIKINGの同人にも、当時、久坂葉子を知る人が何人かいて、いろいろ語ってくれた。「僕より若いのに妙にくすんで年寄りじみててね」(福田紀一)。「朝の九時ごろ阪神ビルの前で会うたとき、どないしてんと聞くと、寝て来てんと。あんたみたいなええとこの子が、なんで喫茶店でアルバイトすんねんと聞くと、親父が小遣いくれへんもんと言うてた」(松本光明)。「一口で言って、久坂葉子は抽象的な愛、被愛ということの不可能性で、生々しくリアルな顔をしていました。思わず戦慄を覚える美貌でしたが、眼は深い悲哀と欲望に満たされていました」(井口浩)。「ビアホールでいっしょに飲んだことあるけどね、毎月なんぼか小遣いをくれて、何でも自由にさせてくれる人やったら、わたし、どんな年寄りとでも結婚すると言うとった」(富士正夫)。「いつもけったいな格好してましたよ。帽子かぶって杖ついて、西洋貴族のばあさんみたいな格好でトアロードを歩いてるんよ。オレンジ色の派手な服を着て、グラヂオラスの花束とかをあの小さな身体に抱えるようにしてるんやからそら目立ちますよ。そうかと思うたら粗末な服でコーヒー屋でバイトしたりしてね。プライドとコンプレックスの揺れ幅が大きかったんやろな。例会ではいつも隅っこでふくれっ面しとったよ」(島京子)等々。
久坂葉子は相手によって見せる面を変え、水晶のように複数の面を合わせてはじめて立体となるのかもしれない。私は今も確実な像を描ききれずにいる。
PROFILE
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。外科医・麻酔科医として勤務したあと、在外公館の医務官として海外赴任。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年「廃用身」で作家デビュー。2014年小説「悪医」で第三回日本医療小説大賞受賞。近著に「寿命が尽きる2年前」「砂の宮殿」がある。