2011年
9月号
1980年10月、神戸ブータン友好協会設立のきっかけとなったトレッキング。 この中には、初代会長・長島隆さんや初代事務局長の寺本滉さんの姿もある

神戸市民とブータン国民 交流あたため30年|神戸ブータン友好協会

カテゴリ:文化人, 観光

―神戸ブータン友好協会が30周年を迎えますが、その経緯について教えて下さい。
市野 重要なのはこの友好協会は“神戸市”と“ブータン”ではなく、“神戸市民”と“ブータン国民”の間で結ばれ、草の根的に発足したということです。発足当時、ブータンは国際社会に登場して間もない時期でした。それが70年代後半から徐々に、外国によるトレッキングなどが可能になり、神戸からも9人がトレッキングに参加しました。その時に政府高官と交流を持つことができ、それが縁で神戸市民有志との交流を持つようになったのです。
 日本政府とブータンとの国交樹立は1986年ですから、当時、外務省も神戸市も関わっていません。その正式な旗揚げは1981年で、最初の活動はポートピア博覧会でブータンを紹介するパンフレットを作ることになりました。

―ブータンは1960年代まで鎖国状態だったと聞きましたが、どういった理由があったのでしょうか。
市野 チベットから見るとヒマラヤの南にあり、インドから見れば、ジャングルの北の山の向こうにあるという、地形的な理由は大きかったと思います。それと国民全員が信者でもある、大乗仏教を基にした独自の文化を侵されたくないという思いが強いのでしょう。
 隣のネパールでは、60年代後半に登山などをオープンにしたのですが、多くのヒッピーなどが入国し、文化的に荒らされた背景があります。それを見てきたブータンとしては、自分たちのアイデンティティを守るためには、ゆるやかな開国が必要だったのだと思います。

―市野会長ご自身、ブータンに2年間在住されていたそうですが、その当時と現在のブータンとの違いはありますか。
市野 私がブータンに在住していたのは1990年からの2年間ほどです。ブータンが門戸を開いてまだ間もない時期で、政府関係者の勢いは感じられましたが、まだ秘境というイメージが強かったですね。ラジオもテレビもなく、それがブータンらしかったのです。
 首都のティンプーはそれなりに近代化しつつありましたが、一歩郊外に出ると昔ながらの生活でした。昨年20年ぶりにブータンを訪れましたが、首都ティンプーは大きく変わっていました。テレビはもちろんのこと、インターネットなども普及していて、多くの情報が入るようになっていました。私自身は登山家ですから、もともとネパールヒマラヤには登っていたのです。ブータンには8000メートル峰はないのですが、未踏峰がまだまだあります。これは登山家にとって大きな魅力です。

―ブータンの豊かさの基準はGNP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福)だとお聞きしましたが。
市野 国民総幸福をGNHと言うのですが、80年代半ばに第4代国王より提唱され、GDPより重視されています。持続可能な「経済成長と開発」、大乗仏教を代表とする「文化遺産を守る」、ヒマラヤの豊かな自然のある「環境保全」、国民が一つにまとまる「良き統治」、この4つの指針が国民総幸福度の哲学となっているのです。開発はするけど、「モダンナイズするがウエスタンナイズはしない」、つまり近代化は必要だが西洋化はしないと常に言っているのです。

―9月には30周年を記念してブータンへ行かれるそうですが、その時に消防車を寄贈されるとお聞きしました。
市野 30周年記念行事の一環として、ブータンからの希望により消防車を贈ることになりました。関係各所に問い合わせたところ、神戸市消防局より更新する消防車を譲っていただくことになりました。ブータンはいまでも炊事に薪を使っている家が多く、空気も乾燥しているので火事が多いんです。日本のフル装備の消防車は、古くても大変貴重なものです。過去にも消防車と救急車を贈っていまして、「神戸」と書かれた車が走っています。

―いまブータンでは柔道が盛んだそうですね。
市野 盛んというわけではなく、始まったところです。現第5代国王がイギリス留学中に柔道に触れたことがきっかけなのだと思います。ブータンの若い人たちに、柔道の競技性だけではなく、「礼に始まり礼に終わる」という精神性を植え付けたいという意向から、新設校の授業に取り入れられています。甲南大学の方々にご協力いただき、現地での指導や、古い道着も集めていただきました。ですからブータンの若い人たちが来ている柔道着には、すべて「甲南大学」と書いてあるんですよ(笑)。

―7月には有馬温泉にブータンの皆様が来られたようですね。
市野 ブータンで温泉は、日本の湯治場のような役割を果たしており、農閑期になると家族でキャンプをしながらゆっくり入るのが一般的なんです。
 ガサ地区に王室から一般国民までが利用する温泉場があるのですが、洪水で流されてしまい、何かお手伝いできないかという話から、有馬温泉観光協会の方々が協力してくれることになったのです。ガサ地区の県知事や技術者が来られていたのですが、基本的にはブータンも露天風呂なのでとても喜んでおられました。一緒に有馬の露天風呂に入り、裸の付き合いをしています。

―今後の神戸ブータン友好協会の活動について教えてください。
市野 30年続けてこられたのは、現在80数名おられる会員の多彩さが大きいと思います。いろいろな方々のつながりから、ブータン側の要望にも応えて来られました。基本は草の根運動ですから、これからも押しつけるのではなく、向こうの方々の希望を聞いていきたいです。ブータン側にも「ブータン神戸友好協会」がありますので、お互い一方通行にならないようにすることが、長く続ける秘訣ですね。
 今後は現国王が若者の教育に大変熱心に取り組んでおられることもあり、交換留学のような形で、ブータンの若い人たちと、神戸の若い人たちが交流する機会をつくって、末永く友好関係をつづけていきたいと思っています。

1980年10月、神戸ブータン友好協会設立のきっかけとなったトレッキング。
この中には、初代会長・長島隆さんや初代事務局長の寺本滉さんの姿もある

神戸とブータンの30年にもわたる草の根運動を紹介する記念誌

ブータンでは山火事が多い。神戸市消防局で使用された消防車が贈呈される

現ブータン国王(左から2人目)は、柔道の精神性に関心をもつ。現在、甲南大学のOB山崎道洋さんが指導にあたる

今年7月、ガサ温泉の復興支援の協議のため有馬温泉を訪れたガサ地区の県知事(前列中央)や技術者たち。
有馬温泉観光協会の皆さんと共に

市野 和雄(いちの かずお)

神戸ブータン友好協会会長
新潟県高田生まれ。1973年、神戸市入庁。公園技術職、布引ハーブ園、須磨離宮公園園長、森林植物園園長などを歴任。1990年から2年間、ブータン王国社会福祉省都市計画へ派遣。神戸ブータン友好協会発足から会員。趣味は、スキー、山歩きなど。

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