10月号
触媒のうた 8
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
「西宮市香櫨園に回生病院というのが今でもありますが…」
宮翁さんこと、宮崎修二朗氏89歳の話である。
回生病院がある香櫨園は、野坂昭如の直木賞作品「火垂るの墓」や谷崎潤一郎の「卍(まんじ)」に出て来る場所としても有名だが、昔は海の向こうに紀州の山々までもが遠望できた佳景の地にある。
「その病院のすぐそばの浜辺で、多くの文化人を集めて酒盛りを何度かやりました。浜で獲れたトレとれの鰯を炭火で焼いてね。院長の菊池さんに僕が頼んで催したんですよ。」
宮翁さん、まだ国際新聞におられた昭和20年代前半の話である。
「小野十三郎、安西冬衛、阪本勝、田村孝之介、富田砕花、大澤壽人、牧嗣人などを集めてね」
当時一流の錚々たるメンバーである。
「小野十三郎や田村孝之介などとは僕、飲んでヘベレケになって取っ組み合いをしたこともありました」
わたし、恥ずかしながら、大澤壽人や牧嗣人のことを知らなかったので教えてもらった。
大澤は1907年、神戸に生れた作曲家であり、ボストン交響楽団で日本人として初めて指揮。当時の日本クラシック音楽家としては、画期的な作品を多く残したという。また牧嗣人は1903年生まれのやはりクラシック音楽家であり、山田耕筰に師事し、昭和初年にはフランスに渡り俳優に転身した異色の経歴の持ち主。
そのような人たちが戦後の一時期、香櫨園の浜に集まり、鰯を肴に酒盛りを楽しんだというのだ。
「今から思えば不思議な時代でしたね、なにか熱に浮かされたような」
宮翁さん、遠くを見る目で話して下さる。
「そのような時でした、二科会重鎮の山本敬輔という画家から、ある若者を紹介されたんです」
山本敬輔は、姫路生れの抽象画家で、裕福な病院経営者の御曹司だったと。
「神戸の絵画教室に、絵はうまいが絵描きとしては決定的な欠陥のある生徒がいるんだ。何とかならないか、と言われてね」
その若者の名は岩田武夫。実は色弱だったのだと。
「彼は陸軍海上挺身隊出身でしたが、その前には日銀に務めたりしてたもんだから計算が得意でしてね、どんな難しい計算でも暗算でやってしまいました。西宮の弓場町に住んでましたが、実家は岩田という帽子屋さんでね、三宮と元町に店がありました。当時の帽子屋さんといえばそりゃあ羽振りが良かったもんです。だって、学校などの制帽を扱っていたら、毎年大量に売れるんだから」
その帽子屋さんは長男が後を継いだそうだが、彼は画家になりたくて、中西勝や故貝原六一、故鴨居玲などと市が催した絵画教室に通っていた。ところが色弱ということが分かり、若き宮翁さんの許に預けられることになる。
「新聞社に連れて行って、イワタタケオという名でマンガを描かせました。そうだ中国系の新聞だからというので“孫悟空”という連載漫画を。そのうち六畳と四畳半二間の僕の家に入り浸りになってね、居心地がいいのか、しまいには居ついてしまいました。ところがこれが酒好きでね、うちも貧乏だったから家内も苦労したもんです。ぼくのネクタイやシャツを平気で着て行くしね。やんちゃの弟が一人いるようなもんでした。だけど本人はまったく悪気がなくて、何か憎めなかったですねえ。そんな生活が一、二年続きましたが、僕が国際新聞から神戸新聞に移る話が出てきた時に、そろそろ潮時ということで離れました。ところがそのうち、東京から彼の名前が聞こえて来ました。当時有名な漫画家、近藤日出造の没後を受けて「読売新聞」に描いたりしてね」
そして時が流れ、ある日宮翁さん、週刊誌を読んでいて、はたと思い当たる記事に。
「岩田一平という人の記事が出ていたんです。なにか考古学の本の著者としてでしたね。しかも肩書きが『週刊朝日』の副編集長でした。僕、ピンときました。それで電話したんです。というのも、タケオが僕の家に居候してた時に、僕の長男の天平を、いい名前だ、いい名前だ、としきりに言ってたんですよ。それできっと自分の子によく似た名をつけたんだと思いました。僕の勘は当たってました。しかし一平君は僕のことをまったく知りませんでした」
わたし、ネットで調べました。そして古書店でイワタタケオの画集『ペンダコの唄』(1989年発行)を入手しました。これはしかし遺作展を開催するに際しての遺作集。ご長男の一平さんを始めご遺族が編集発行されたものだった。イワタタケオは1986年61歳で亡くなっていたのだ。
後日わたしは、この本と、ネットからプリントアウトした岩田一平さんの写真を携えて宮翁さん宅を訪ねた。 つづく
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。
出石アカルブログ http://akaru.mo-blog.jp/akarublog