11月号
絢爛亭のおせちは〝美味しくいただけて体にいい〟母の味
株式会社フードストーリィ 代表
古屋 裕子 さん
「絢爛亭のおせちは母の味です」と話す古屋裕子さん。
毎年一緒におせちを作ったお母様、昨年元旦に急逝された女将の都子さんの思い出をお話しいただいた。
―お母様はずっとおせちを作っておられたのですか。
花隈の絢爛亭の頃からお客さまの注文に応じておせち料理のお重を作っていました。
―豪華なおせちだったのでしょうね。
母は、「絢爛とは煌びやかで華やか」そんな女性でありたいという願いをこめて、屋号にもしていたほどですが、お料理はいつも体にいいものを一番に考えて作っていました。私たちに作ってくれるお料理もそうでしたし、おせちも決して他のお料理屋さんのように豪華といえるものではなかったですね。でも、どれも美味しく召し上がっていただけるように心を込めて手づくりしていましたので、お客様からは、「おせちにはあまり食べたいものはないけれど、絢爛亭のお節は全部頂ける」と言っていただいていました。
―震災で被害を受けながらも続けておられたのですね。
1995年の暮れは、震災でたくさんの方が亡くなり、仮設住宅で暮らす方も多いなかで「おせちなど必要?」と考えました。でも一年で一番大切な節句「お正月」だから、お重ではなく一段だけにして、福が来るようにと願って「福膳」としてお出しすることにしました。海老や数の子、お煮しめ、黒豆、田作り、栗きんとん、鯛のすり身で作った蒲鉾、たたきごぼうなどがちゃんと詰まった一段重でした。一人か二人用のおせちは当時珍しく、とても好評でした。以来一昨年まで続けて作っていました。
―年末は大変だったでしょうね。
毎年クリスマスが過ぎる頃からできることを始めていました。私は「あ~またこの時期がきた」と憂鬱でした(笑)。田作りや栗きんとん、黒豆などは私も手伝っていました。お煮しめなどは押し詰まってから作っていましたので、その頃には桐の箱の準備や伝票整理などにかかりっきりで、残念ながら一緒には作っていないんです。
―一昨年の暮れが一緒にお節を作った最後だったのですね。
いつもと同じように母は大好きなおせちやたくさんのご馳走を作って年末を過ごし、お正月は家族やお友達と一緒に過ごすつもりでいました。けれど年が明け、元旦、母は突然、本当に突然に亡くなりました。1月2日に親しい人だけが集まりました。母は自分のお通夜を自分の料理で振る舞いました。母はさいごまで料理人でした。
―お節づくりは再開できそうですか。
お客様からは「他でおせちを頼んでみたけれど、全然違った。ぜひ再開してほしい」という声をたくさん頂きます。どこまで母のおせちに近付けるのかは分かりませんが少しずつ始めてみようと思っています。幸い、材料は市場や業者さんに電話を入れると母が使っていたものが届きます。多分、納得のいくものを選ぶために母は自分の足で出向き、喧嘩して嫌われて(笑)、失敗もしながら苦労を重ねてきたのだと思います。
―これからもずっと?
「年末はゆっくりできる。海外にでも行ってお正月を過ごそう」などと思っても、元旦が母の命日ですから、そういうわけにもいかず、おせちづくりを頑張るしかないですね(笑)。きっと母も見守ってくれると思います。
■絢爛亭
神戸市中央区北野町4-8-3
TEL:078-221-1022