2017年
8月号
8月号
英国と神戸 Vol.2 日本におけるサッカーとラグビーの普及に深くかかわったK.R.&A.C.
神戸の居留地を拠点とした外国人たちは、私生活でも本国の文化習慣をもち込もうとした。スポーツの面ではさまざまなクラブが結成され、他都市や上海チームとの対外試合が行われることもあった。
神戸で最初の本格的なスポーツクラブが、K.R.&A.C.(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)である。K.R.&A.C.は明治3年(1870)、スコットランド人の薬剤師A.C.シムによって創設された。居留地18番で商館を営んでいたシムは、居留地会議の委員や消防隊の隊長を務めた人物で、スポーツマンとしても有名であった。シムが多数のボート愛好者を集め、クラブの創設とボートハウスの建設計画を提案したことで、K.R.&A.C.が発足することになった。同クラブは、およそ150年たった現在も活動を続けている。
神戸では明治8年(1875)、初めての西洋風公園「内外人公園」(現在の東遊園地)が設けられ、サッカーとラグビーなどのスポーツによる、外国人と日本人との交流の場となった。
日本におけるサッカーとラグビーの普及に、K.R.&A.C.が大きくかかわっている。日本へのサッカーの伝来は、明治5年(1872)に神戸市の外国人居留地で行われた試合が最初という説があり、ラグビーの第1回公式戦である「インターポートラグビー・フットボールマッチ」は、明治35年(1902)に横浜で開催されている。同志社大学に所蔵されている古い記録には、白熱した試合のあとにK.R&A.C.のメンバーとビールを飲み、交流をしたことが記されている。試合後にはパーティーが開かれ、外国人たちはお互いのプレーを称え合った。その楽しげな様子は神戸の日本人たちの目にも魅力的に映り、神戸にスポーツが根づく一因になったのではないだろうか。