11月号

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 126 「こきこきこきと」
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
一期一会であった。
俳人の木割大雄さんである。
神戸新聞に写真入りの訃報が出て、「ああ」と声が出た。
初めてお会いしたのは三年半ほど前。
時実新子さんと長く親交のあった柳人の中野文擴さんに伴われて「書斎・輪」にやって来られたのだった。その時に句集『俺』を頂戴している。その場でサインをしてくださり、個性的な字で句が添えてある。
生きるとは 靴を履くこと 初景色
訃報記事にはこうある。
《西宮市出身。前衛俳句の赤尾兜子に師事。スポーツ新聞でのタイガース俳句連載、ラジオ出演などで活躍したほか、兵庫県内外の小中学校で俳句を教える活動に尽力。落語や音楽、琉球舞踊、俳句列車など多彩なイベントを企画し「下町のプロデューサー」と呼ばれた。(後略)》
わたしがお会いした時の印象も、すこぶる好奇心の旺盛な人だと感じた。「書斎・輪」の棚の本にも興味の目を向け、ある本を手に取り、「これは珍しい本だ」と唸りながら読みふけっておられた姿が忘れられない。その時、なるほどただの人ではないなと感じたのだった。
それならば、と思ってお見せしたのが、わたしが秘蔵する文人の書簡である。この人なら価値がわかるに違いないと思ったのだ。
昭和を代表するような文人たちの直筆書簡、約百通。
堀口大学、大佛次郎、三島由紀夫、江戸川乱歩、志賀直哉、横溝正史、西條八十、井伏鱒二、高浜虚子など、文学好きなら誰でも知る文人の書簡。
驚嘆の面持ちで見ておられたが、中の一枚に目を留め、「これ、戴けないか?」とおっしゃった。
「わたしの友人にこの文人に教えを受けたかなんかで、非常に尊敬してるのがいるので、その人に持たせてやりたい」と。
それはわたしにとっても大切なもの、しばらく逡巡したが、それほどまでに請われるのならと差し上げた。
それは秋元不死男という俳人のハガキ。
消印は昭和三十年。神奈川県横浜市からの発信。すでにむかし色に変色している。
秋元不死男は、教科書にも載るような俳人である。
そのハガキ、差し上げるにあたってわたしはコピーを取っておいた。俳句がしたためられている。毛筆で流麗に書かれている。
鳥わたる こきこきこきと 罐切れば
不死男の代表作である。ハードカバーの立派な句集『甘露集』(角川書店・昭和五十二年刊)の表紙裏に大きく載っている。
調べてみると、終戦直後の作品らしい。
《新興俳句弾圧事件で1943年2月までの二年間投獄されていた不死男の境遇に重ねて鑑賞されることが多く、不死男自身も「敗戦のまだ生々しく匂う風景の中で、私は解放された明るさを噛みしめながら渡り鳥を見上げ、こき、こき、こきと罐を切った」と述べている。
「渡り鳥」を自由の象徴と捉え、幽閉されていた日のことを「罐」に見る。解放されるときの音が「こきこきこき」であり、》
とこれはわたしの感想ではなくネットからの情報。しかし、「こきこきこき」というオノマトペにその時代と心持ちが表されているのはわたしにもよくわかる。
因みに「鳥わたる」が秋の季語。
木割さんは、不死男の代表句ともいえるこの俳句にも注目したのだろう。そして、不死男を尊敬してやまないという友人の手に持たせてやりたいと思われたのだろう。わたしには多少の未練もあったのだが、今となってはいいことをしたのかなと思っている。
木割さん、お帰りの時に、「ここはまた来たいところだ」とおっしゃったが、叶わなかった。
ところで、木割さんのその友人とはどなたなのだろう。あのハガキ、今も大切に保管して下さっているだろうか。

(実寸タテ22㎝ × ヨコ3㎝)
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。












