2016年
2月号

触媒のうた(60) ―宮崎修二朗翁の話をもとに― 

カテゴリ:文化・芸術・音楽

出石アカル
題字・六車明峰

兵庫県を代表する文人といえば富田砕花翁を上げぬわけにはいかない。
兵庫県文化賞第一号(ご本人はもらってないとおっしゃっていたそうだが、これにはわけがある。いずれ又)。
富田砕花(とみたさいか)=本名戒治郎。1890年~1984年。歌人としては石川啄木などと交流し、後には大正詩壇の民衆詩派詩人として活躍。
社歌、校歌なども百篇近くを作詞しておられるが、甲子園球場で報徳学園の校歌が流れるのをうれしそうにテレビで見ておられたことがあると。

砕花翁について宮崎翁は『人の花まづ砕けたり』(ジュンク堂書店・昭和60年)に詳しく書いておられる。その「あとがき」の冒頭。
《この本に収めた本文部分の三十章は、神戸新聞の依頼により、砕翁ご逝去直後のあわただしい中で執筆連載したものです。地方紙という性格上、“兵庫県文化の父”を県民とともに追慕したい――とのねらいから、一見、些末にみえる地方色をあえて濃くしました。》
「あわただしい中で」とある。しかしこの本の内容は全く、やっつけ仕事ではない。宮崎翁の驚異的な記憶力と蓄積された豊富な資料とに裏打ちされていて、砕花翁の実像が見事に浮かび上がる。ところが、「あとがき」には続けてこう書かれている。
《執筆にあたって困ったのは、まったくデータ不足だったことです。何しろ翁は、己れを――したがって他をも――語ることをきびしく拒む方でしたから。それに、私は四十年近く、手前勝手な師事こそいたしましたが、その人と業績を記述するなどという不遜なこころざしは、とっくに放棄していました。無論、先生を少しでも理解したいとか、翁を敬慕なさっている方がたへ、私の知り得たことの幾らかでもお頒ちして、薫染を賜った者の幸せを共に喜び合いたいとねがいつづけては来ましたが。》
宮崎翁の砕花翁への尊敬の度合いが解るというもの。

富田邸の“門番”と自他ともに認める宮崎翁の話。
「砕花先生がおっしゃったことがありました。『神戸新聞を良くするために、入れたい人が三人あった。頴田島一二郎、足立巻一、そして君。実現できた最初が君だったんだ』とね。
そうなんです。ぼくが神戸新聞に入れたのは先生のおかげなんです。先生が当時の神戸新聞の朝倉斯道会長や田中寛次社長に働きかけて下さって実現したんです。それまで、給料もろくに出なかった国際新聞にいたんですが、超貧困のどん底から救って下さったんです。はい、最初にお会いしたのは、国際の記者をしている時でした」
ところが後年、宮崎翁の活躍を筑摩書房が目に留め、「東京に出て来ないか?」と誘いがあった。
しかし宮崎翁は、「神戸でまだやりたいことがありましたし、やはり富田先生と離れ難かったんですよ。先生に言われたことがあります。『神戸新聞の記者の中で、世間に認められるのは君以外にいないじゃないか。君が出て行ってしまったら神戸新聞はどうなる?』とね。なにより先生がぼくの努力を認めてくださったのがうれしくてね」
ということでその機を逃がす。
「しかし後年、先生の晩年でしたがこんなこともおっしゃって下さいました。『あの時、君を東京へ行かせてやればよかったなあ』と。ああ、本当に解って下さっていたんだなあ、とありがたくもうれしかったですねえ」
これはもう心の通った師弟と言ってもいいでしょう。
この東京に誘われたという話は以前にもちょっと書いたが、もし実現していたなら、多分翁は水を得た魚のごとく東京の出版界で八面六臂の活躍をされたことだろう。そうなっていてほしかったと思う反面、それならわたしが知り合いになることもなかったということ。なにか複雑な心境になってしまいます。
さらにこんな話をお聞きした。
「富田先生のお陰で神戸新聞に入れました。そしてぼくは働いて働いて働いて、自分で言うのもなんですが、働きまくって病気になりました。そんな時、富田先生がご夫婦そろって見舞いに来て下さったんです。昭和28年、忘れもしない一月一日でした。そしてもう一度。その日は天皇陛下が神戸に来られる日でした。先生も拝謁組のお一人だったんです。それを欠席してぼくンとこに来て下さったんです。『いらっしゃらないんですか?』と尋ねたら、奥様が『天皇さんよりもあなたの方が好きなんだって…』と冗談めかしておっしゃいました。そして、『“笛吹けど踊らず”ということを知ってるね。わたしたちが笛吹いてるのに、なにさ、病気なんぞして…それじゃ踊れないじゃないか!』と情愛を込めてお叱り下さいました。そのあとを引き取って、砕花先生が『人間は病気しなきゃあ一人前じゃねえんだ。病気してわかることがたくさんある。だからおれは、病気したことねえ奴は駄目だって言うんだよ。君も病気になって良かったね』と言って下さったんです」

つづく


昭和24年頃の砕花師(撮影は宮崎翁、
揮毫を嫌った砕花師の珍しいサインつき)

■出石アカル(いずし・あかる)

一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。

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