12月号
平清盛が夢見た和田京と懐中仏を奉納し頼りにした「宝満寺」
産業隆盛のルーツは平清盛
和田 幹司さん〈FMわぃわぃ パーソエナリティ〉
平清盛は一一八〇年か六月から十一月までの六ヵ月間、平野の福原に都「福原京」を置きました。そして次に構想していたのが、和田岬辺りから、真野の里を含む駒ケ林近辺までの広い土地に、和田京を造ろうということでした。
この宝満寺はその時代に、和田京の西南を守る守護寺として、和田岬の辺りから現在の東尻池の地に移設されたといわれています。お寺のご由緒はさらに古く、室町時代に空海が建てたお寺。空海(弘法大師)は自刻の大日如来像を本尊としたと伝えられています。この像は現在、国の重要文化財であるご本尊の大日如来像と共に収蔵庫に安置されています。
和田京は、京都からの反対の声もあり、結局実現はしなかったのですが、清盛はずっと懐中に入れていた「帝釈天立像」を宝満寺に奉納しました。広い土地を寺領として与えたといわれていることからも、清盛がこの寺を大切に扱ったことがうかがえます。
清盛は直筆の「護国殿」の文字も奉納しましたが、額はその後の合戦で焼失し、そののち、足利尊氏が書いた直筆の額も第二次大戦で焼失してしまいました。
長田のこの辺りは、今でも町工場が多数ありますが、ゴム工業やマッチ工業、機械工業など近代産業の隆盛を担ってきた土地でもあります。清盛が造成した人工の島「築島」の建造にあたった棟梁は、現在の東尻池(当時の尻池村)の住民でした。古くからそうした土建事業などの産業にたずさわってきた土地柄ともいえましょう。神戸には海と山と川があります。平清盛の事業を見直してみると、神戸はもっと海の事業を見直さなければならないと思います。歴史上、平家は滅びてしまいましたが、日本の文化・商業の礎を作ったのは平家です。そしてその中心にこの地域があったのです。
宝満寺には和田京と清盛の歴史が残っています。歴史愛好家にとっては訪れたくてしかたがない場所ですね。もっと調べたら面白いと思います。
郷土の宝を預からせていただいています
亀山 博一さん〈臨済宗南禅寺派 金剛山宝満寺 住職〉
宝満寺は歴史上数々の戦火にさらされてきました。震災後の修復を経て平成九年に国の重要文化財に指定された本尊「大日如来像」も、当時の住職が井戸の底に隠したおかげで、大空襲による焼失を辛うじて免れたと聞いています。収蔵庫「護国殿」には、この大日如来像をはじめ、清盛公の懐中仏「帝釈天立像」など、数々の県指定重要文化財が収められています。
通常は一般公開いたしませんが、いずれ期間限定の特別拝観を企画したいと考えています。宝満寺というお寺は、土地の人々との深い関わりの中で守られてきました。文化財についても、郷土の大切な宝を預からせて頂いていると思っています。
護国殿には他にも、昭和二十三年に地元の「真野乃里史跡保存会」から奉納された、平清盛公と平家一門の位牌も安置されています。位牌の裏には「我が国の文化と土建の礎を作り、この地に近代の発展をもたらした」と、その功績を讃える言葉が刻まれています。平家を偲び、郷土の繁栄を感謝する人々の、素朴な郷土愛が感じられます。
■金剛山宝満寺
神戸市長田区東尻池町2-11-1
TEL・078-671-2844
※一般拝観は行なっておりません