12月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㊸ 「折々のことば」
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
もう何年になるだろう、宮崎修二朗翁がわたしのために、朝日新聞の連載コラム「折々のことば」を千切り抜いてくださるようになってから。
何度も書くが「宮崎修二朗」とは、知る人ぞ知る兵庫県文苑の最長老。正に博覧強記の生き字引である。
わたしは折に触れてお訪ねしているのだが、その度に手渡してくださるのが、千切り抜きだ。
ここでいう「千切り抜き」という言葉は、単なる切り抜きとは大きく意味が異なる。ハサミで安直に切り抜いたものではないのだ。
以前、当欄に次のようなことを書いた。
《帰りに「これ、あなたに」と言って封筒を手渡された。帰宅して開けてみると、朝日新聞の「折々のことば」というコラムの切り抜きがいっぱい。そしてメッセージが。
「貴兄の血になってくれる――そう思ってこの小欄を切り抜きました。鋏のありがたさ、すべてのありがたさ」
わたし、初め「鋏のありがたさ」というのが何のことか解らなかった。ところが切り抜きを手に取って見て息をのんだ。縁がみな切手の目打ちのようにギザギザだ。鋏で切ったのではないのだ。丹念に千切りぬいてある。翁は院内で鋏を持たせてもらえないのだ。身の回りに刃物を置かせてもらえないのだ。90歳を超える翁が、背を丸めてわたしのために千切り抜きをして下さっている(略)》
これが四年前のことである。
実はこのほどお教えいただきたいことがあり、施設に電話を入れ、訪問しようとした。ところが「今日はお疲れになってますので、また日を改めて」ということでお会いできなかった。
その翌日、翁のご子息から電話があり、「父が入院しました」と。
40度の発熱があり、病名は胆管炎とのこと。最近では元プロ野球選手の金田正一さん86歳がこの病気で亡くなっている。
翁は年が明けると98歳におなりになる。普通、この年齢で軽くない病気での入院となると、さて無事に退院できるだろうかと心配になるものだろう。ところがわたしは、少々不謹慎かもしれないが全くといっていいほど心配しなかった。翁は、頭脳も人並外れて優れておられるが、身体も頑健そのもの。といって病気知らずというわけではなく、人並みに、「夕日のガン(癌)マンになりました」などと洒落ておられたこともあった。またほかにも幾つかの病を克服してきておられる。
で、今回、半月ほどで退院の知らせを受けたのだが、養生のため一ヵ月ほどはお会いできない様子だった。その一ヵ月が過ぎるのを待ちかねて、このほどお会いしてきた。約二ヵ月ぶりだ。
予想していたよりもお元気そうで安心したが、さすがに目にはいつもの力がなく、宮崎翁らしくなかった。
「死ぬのかと思いました」とおっしゃる。しかしさすがに不死身の翁です。部屋の扉を開けた時、わたしの目に入ってきたのは、ベッドで本を読んでおられる姿だったのだから。しかも、傍らのテーブルにはメモ書きなどがあり、お勉強しておられたことを示していた。
そして、改めて感心したのは、ご入院前に翁宛に郵送しておいたある印刷物についてお尋ねした時のこと。
「知らないです」とおっしゃる。で、持参していたその予備のコピーをお見せすると、「読んでないです」と。どうやら入院騒ぎで分からなくなってしまったようだ。
そのプリントに目を走らせて翁は「これはありがたい。二、三日楽しめます」とおっしゃるのだ。
読むだけならあっという間に読めるもの。なのに「二、三日楽しめる」とおっしゃる。ということは、そこに書かれていることから、思索を伸ばせるということだろう。昔の文人の名前や出来事から、頭の中にある記憶へと思いを伸ばして楽しめるということ。やはり、まだまだ翁の頭脳は衰えてはいなかった。
さてその帰りのことだ。病後でもあり、今回はさすがに無いだろうと思っていたら、「ちょっとお待ちください」と言って、手渡してくださったのが、かの「千切り抜き」である。「毎朝、これを切り抜くことからぼくの一日が始まります」と言いながら、約二ヵ月分。
帰宅して読ませてもらったが、偶然にも中の一枚に宮崎翁が親しくしておられた詩人、多田智満子さんの詩が取り上げられていた。
あさってから手紙がくるよ/あしたのことが書いてある/あしたってつまりきのうのこと/あしたのわたしはごきげんですか
今ある、この「時」を大切にしなければ、と改めて思ったことだった。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。