10月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第一〇〇回
人生前半の社会保障の課題と展望
─若年層や子育て世代を取り巻く環境はどのように変化していますか。
増井 この40年で世帯規模が縮小し、雇用形態の変化で非正規労働者比率は25年前の倍ほどの40%に達しています。そのような状況の中、少子化は大きな社会問題となっています。1970年代前半の第2次ベビーブーム以降、出生数も合計特殊出生率(一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均)も減少し続けています(図1)。出生率は2006年から若干持ち直しましたが、出産可能な女性の数が減少しているため出生数は減少しています。
─少子化の原因は何ですか。
増井 第一に未婚化の進行ですが、経済的理由や結婚の意味が薄れたためだと思われます。第二に晩婚化による晩産化が考えられます。
─これまでにどのような少子化対策がおこなわれてきましたか。
増井 1989年の出生率が1966年の丙午の出生率1・58を下回った「1・57ショック」で少子化は注目を集め、政府は1990年よりさまざまな少子化対策に乗り出してきました(図2)。当初は保育所を中心とした子育て支援や仕事と子育ての両立の支援など正規労働者同士の共働き家庭をターゲットにしたものだったため、非正規雇用者や就職困難者への支援が不十分で出産・結婚へのブレーキを止めることができませんでした。高齢者問題に関心が注がれ、対応が遅れた感もあり、きわめて低調で問題解決に結びついていません。
─海外でも少子化がおきているのでしょうか。
増井 先進国の出生率は、大きな流れとしては日本と同じく低下傾向にありますが、フランス、スウェーデン、アメリカは1・8を超えています。特にフランスとスウェーデンは一度下がった出生率を回復させています。
─そのような国では若年層の社会保障が手厚いのでしょうか。
増井 ヨーロッパ諸国では人生前半の社会保障に重点を置いています(図3)。一方でわが国は低く、特に育児や教育と住宅に関する公的支援が見劣りしていますね。
─例えば児童手当ではどのような違いがありますか。
増井 日本ではそれまで小学校卒業時までだった支給対象を2012年に中学卒業時までに延長し、現在は支給総額2・3兆円と大幅に拡充されました。しかし、フランスでは20歳未満、ドイツでは18歳未満を支給対象としており、まだ差があります。また、日本では支給に所得制限がありますが、ヨーロッパ諸国にはありません。日本では基本的に子どもは家庭で育てるものという考えなのに対し、ヨーロッパでは社会が育てるものという精神が貫かれているのではないかと思います。一方で日本では5歳未満の就学前の子どもの貧困率が上昇していますが、これは親世代の20~30代の貧困率が上昇していることが原因です。この傾向が顕著になってきたのは若者の非正規雇用者が増加した1990年代後半~2000年代で、離婚率上昇や母子家庭増加とも密接に関係しています。今後、幼稚園などに通えない子どもが増えてくるかもしれません。
─となると、幼児教育の無償化も重要になってきますね。
増井 児童手当の拡充より幼児教育無償化の方が費用対効果が高いのです。日本ではこの10月から幼児教育・保育の無償化がおこなわれます。ヨーロッパ諸国でも軒並み無償化を実現していますが、中でもイギリスではいち早く無償化をおこなっただけでなく、就学年齢を1年早めました。これにより卒業を1年間早め、女性の結婚年齢を早めて子どもを多く産んでもらおうという意図がうかがえます。
─ほかにヨーロッパ諸国と日本とで違う点はありますか。
増井 住宅手当制度が大きく違います。日本における公的な住宅手当は対象者が非常に限定されているのに対し、ヨーロッパ諸国では一定の水準以下のすべての者を対象に公的補助がなされています。ヨーロッパでは住宅を社会保障の一環として考えているのに対して、わが国では低所得者対策としての住宅政策が存在しないと言えるでしょう。日本では戦後、住宅政策を持ち家促進に傾倒してきたため、人口減少局面のいま空家が問題になっていますが、それにもかかわらずいまだ産業活性化政策として住宅ローン減税など持ち家優遇の政策を堅持しているのです。子育て世代はもちろん、住宅制度を産業活性化政策から社会保障政策へと転換し、住宅困難者の支援を積極的にするべきではないでしょうか。
─少子化に対し、社会保障はどうしていくべきなのでしょう。
増井 前述の通り、わが国のこれまでの少子化対策は保育所対策に終始し、出生率の向上に寄与していませんのでここをまず改善すべきですね。さらに、家庭の保育・教育費のサポートに関しては、高等教育の負担軽減よりも幼児教育の無償化を優先させる必要があると思います。また、社会保障の視点に立った住宅政策の充実も課題です。いま日本が直面している巨額の財政赤字も、超高齢化による社会保障費の増大も、東アジアの安全保障上の脅威も、国力の維持なくして対応できません。国力の維持には労働生産性の向上と並んで、人口増加政策を真剣に考える必要があります。安易な移民受け入れに走るのではなく、人生前半の社会保障を見つめ直して、子どもを産み育てやすい社会にすることが大切なのではないでしょうか。