6月号
桂 吉弥の今も青春 【其の二十五】
徒歩通勤の話
お勤めの皆さんどのように職場まで通っているのだろう。私は落語家で毎日職場が違うのだが、ほとんど電車で仕事場へ向かっている。時には車を使うこともあるが、それは会場に太鼓や毛氈や座布団などの設備が無い時に私の所有の道具を持って行くときぐらいで、いつも阪急電車にお世話になっている。家から最寄り駅に十分ほど歩いて、だいたいは大阪梅田行きの電車に乗る。
先日、天満天神繁昌亭の昼席の仕事があった。自分の出番の三十分ほど前に楽屋に入って、二十分の高座をつとめて本日の仕事は終わり。「おつかれ様でした」と後輩たちに見送られて楽屋を出る・・・はっきり言って疲れてない。空は青空、気候は暑くなく寒くなくほどよい風が吹いている。時計を見るとまだ午後四時ちょっと前。急に歩きたくなった。
ちょうどその日はリュックのようなバッグに着物をいれて背負っていた、足元もスニーカーだし。「こんな仕事量で電車に乗って帰るなんて世間に申し訳ない」という気持ちと「このお腹の脂肪をちょっとでも燃焼させたい」という気持ち。
どうせなら梅田までじゃなく十三大橋も渡って行けるとこまでいってみようと、頭の中ではどんどん気分が盛り上がって行った。まずは関西テレビがある天満駅辺りまで北へ。天五中崎通商店街を通って今度は毎日放送へ。中崎町では毎日放送の松井愛アナウンサーと出会う、しばし談笑。歩いてなかったら出会わなかったはず。
十三大橋は今までも何度か渡ったことがある、結構長い、皆さんが想像してはるよりずっと長い。今回繁昌亭から出発して水分は取っているのにトイレは行ってないことを失念していた。十三駅前のパチンコ屋さんでトイレを借りてほっと一息、大きな道を離れて阪急の線路沿いに神戸方面へ向かう。十三からは山手幹線、通称やまかんをまっすぐ行けば尼崎の家の方に帰れることは分かっているが、それでは面白くない。今日のルールは『阪急神戸線の線路沿いに帰る』にした、その瞬間決めた。
神崎川駅まではずっと線路沿いを歩ける、散りゆく桜吹雪の下を通ったり快適に歩く。神崎川を渡りしばらく行くと阪神高速池田線をくぐる。いつも使っている見たことある風景、「今日は電車も車も使わずに歩いてる。凄いぞ、えらいぞ俺!」と気分は高まる。
さて、その先で線路沿いでは歩けなくなった、道が線路から離れるのだ。仕方なく住宅街に入る、そして川に出る。旧猪名川という表示、さて右に行くか左に進むか。私は右に歩みを進めた。これが本当に運命の分かれ道だった。地図を見たり人に聞いたら良かったのだが、なにしろ線路沿いを歩くというルールがあるもんだから阪急電車が鉄橋を渡るのが見えたし右へ。つまり北に進んだ。南に行けばすぐに橋があったのに逆に行ったのだ。
「無い、無い、橋が無い」すぐに引き戻せば良かったものを頑固に北へ北へ。見慣れた看板が見えてきた、高速の豊中インターチェンジ。ということはこの上の道は名神高速。まだ川を西側へ渡れない。大きな川に出る、猪名川との表示。土手に上がる、視界は広がったが橋は一つも見えない。いや見えた、はるか北の方にやっと。私はこの時ちょっと半べそをかいていた。携帯電話の電池も無くなり、足も痛いし。太陽も沈んできて楽しいハイキング気分は吹っ飛んでしまっている。大人の迷子。なんとか橋を渡り、今度は南西へひたすら歩いてやっと園田駅に到着。繁昌亭を出てから二時間半も経っていた。阪急電車の小豆色の車体が見えた時は涙が出た。
悔しいから次の日に神崎川駅から園田駅まで歩いてみました、今度は四十分で行けました。
今回の教訓、①地図や下調べはしっかり②頑固にならずに人にたずねる③アカンと思ったら引き返す。みなさんも一度徒歩通勤を。
KATSURA KICHIYA
桂 吉弥 かつら きちや
昭和46年2月25日生まれ
平成6年11月桂吉朝に入門
平成19年NHK連続テレビ小説
「ちりとてちん」徒然亭草原役で出演
現在のレギュラー番組
NHKテレビ「生活笑百科」
土曜(隔週) 12:15〜12:38
MBSテレビ「ちちんぷいぷい」
水曜 14:55〜17:44
ABCラジオ「とびだせ!夕刊探検隊」
月曜 19:00〜19:30
ABCラジオ「征平.吉弥の土曜も全開!」
土曜 10:00〜12:15
平成21年度兵庫県芸術奨励賞