1月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 神戸の芸術・文化人編 第36回
剪画・文
とみさわかよの
園田学園女子大学名誉教授(歴史学・比較文化論)
田辺 眞人さん
ラジオ関西「田辺眞人のまっこと!ラジオ」などでお馴染みの田辺眞人さん。兵庫県の地域史の第一人者で、まちなかに残る碑や旧い街道や用水路のことなど、地域を語れば立て板に水のごとく、次々お話が出てきます。番組では親しみやすいトークに乗って、文化イベントや、注目の人の話題が紹介されます。神戸市が平清盛ブームに沸いた昨年は、赤白の神戸ワインの「源平セット」販売や、「浪漫号で楽しむ歴史クルーズ&ウォーク・清盛が愛した神戸」などのアイデアを打ち出し、研究者の枠に留まらない活躍ぶりでした。そんな業績が評価され、昨秋に地域史研究で兵庫県文化賞、教育行政功労で文部科学大臣表彰に輝いた田辺さんに、お話をうかがいました。
―いつも田辺トークには圧倒されますが、子供の頃から歴史少年だったのでしょうか?
歴史も好きでしたけど、科学者・考古学者に憧れてました。でもふり返れば、学問好きな子供でしたね。忘れられないのが、兵庫高校で生物を教えていた、室井綽先生。最初の授業で運動場に集められて、「草を取って来い、できるだけたくさん」って言われて、取って来たら今度は「その草の名前を調べて来い」と。参考にする本を10冊ほど教えてくれたけど、半分は室井先生執筆の本だった。学問好きの高校生には、まずフィールドワークというやり方が新鮮で、刺激になりましたね。室井先生は本を書いてるだけあって、理屈を言えば聞いてくれた。後々僕の研究はフィールドワークが基本になるんだけど、その始まりは高校時代なんです。
―地域の歴史を研究するようになったのは?
きっかけは単純で、関西学院大学西洋史専攻の学生だった頃、東須磨の歴史について質問されて答えられなかったんですね。そこで神戸市史資料室を訪ね、ここで歴史家の落合重信先生と川辺賢武先生に出会いました。東須磨の歴史について訊ねたら「ここではやっと、神戸市の沿革がわかったところです。そういった街角の歴史は大事ですから、あなたが調べて教えに来てください」と言われて、2か月程調べたけどやはりわからなかった。また訪ねて行って「参考文献を教えてください」と言ったら、両先生が笑ってね。「本に書いてあるなら、私らが読みますがな」って。そんな一地域の歴史をまとめた参考書など、存在しなかったんですね。これはもう、自分の足で地域を回って調べるしかないですよね。
―なるほど、フィールドワークの始まりですね。それからずっと兵庫県の歴史を?
卒業後は高校の教師になり、昭和40年代後半から、農村舞台の研究家・名生昭雄先生と県下のフィールドワークを始めたんです。兵庫県農村舞台調査団、さらに神戸市民俗芸能調査団などの活動が、今の僕の基礎になってる。名生先生は僕の高校時代の日本史の先生だったんですが、その頃はまだ高校の先生をしている研究家がたくさん居たんです。その後高校教師を取り巻く教育環境も変わって、学究肌の先生は肩身が狭くなってね。僕もどうしたものかと考えていた折、ニュージーランドと縁ができて、向こうでマッセイ大学の先生になり、最初の移住者のルーツなどを「日本ニュージーランド交流史」にまとめました。比較文化論を手掛けたのは、そんないきさつです。帰国後は園田女子大で教鞭を取りながら、また兵庫の歴史研究を続けました。
―今なお飽きず倦まず研究を続けておられる、そのバイタリティの源は何なのでしょう?
僕の母親はよく、「なんでやろ思たら考えなさい、わからんかったら本を読みなさい」と言うてました。それが根底にあるんでしょうね、出発は「なんでやろ?」の好奇心、そして「もっと知りたい」という衝動。たとえば、大きな溝があったとします。疑問に思わなければそれまでですが、これは何や?と思って調べると、農業用水だったり、堀だったりするわけですよ。なんで道がこんな角度に曲がってるんや?なんでこんな地名なんや?なんでこれがここにあるんや?と思って考えながら調べていくと、ジグソーパズルみたいなもんで、無い線が見えてくるんです。
―神戸にもまだ「なんでやろ?」がありますか?
ありますよ!たとえば、「山」の読み方。六甲山、摩耶山、高取山は「さん」、菊水山、鍋蓋山は「やま」。再度山は「ふたたび」は訓読みなのに、「さん」は音読みですよね。不思議に思いませんか?この年齢になってもわからへんもんがまだまだいっぱい、知りたいことだらけです。
―確かに、言われてみれば…。それに気付くということが、既に探究心のあらわれのような気がします。そうやって地域の歴史を研究し続けて、夢かなえた人生と言えますか?
そうですねえ、学問好きの少年が、室井先生に教わり、落合先生や名生先生と出会い、ニュージーランドへ行って…。でも世界中どこに居ても僕のやり方は変わらない、いつも一般市民の歴史を追及してきました。常に「地元からの聞き取り」が基本でしたね。しんどかったことも、難しいこともあったけど、人生は面白いです。幸せやったのは、本当に好きなことが見つかって、それを仕事にすることができたこと。スケジュールはびっしりやけど、好きなことばっかりですから、毎日が楽しくてね。
(2012年11月15日取材)
「なぜか僕はメディアと縁があって」と田辺さん。「最初のテレビ出演は40年近く前のアップダウンクイズ。これでハワイに行きました。今は、ラジオ関西に週に3日出させてもらっています。NHKからも時々話が来るし。僕も調べたことを発信したいから、チャンスをいただけるのはありがたいですね」
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。