8月号
自然の美しさ、はかなさを繊細なジュエリーで表現 ギメルの世界
四季の中で移り変わる木の葉の色、みずみずしい花々、ひそかに息づく小さな虫たち…
そんな自然の中のふとした表情を、繊細なジュエリーで表現し続ける「ギメル」。
世界的に人気のブランド「ギメル」のジュエリーは、芦屋市奥池町の工房で作られている。
アートディレクター・穐原かおるさんにお話をうかがった。
自然に囲まれた奥池でジュエリーを制作
―なぜこの奥池の地に工房を構えられたのでしょうか。
このアトリエには、世界各国からお取引先が来られますが、みなさん「こんなアトリエは世界でも他にはない」とおっしゃるんですよ。もともと、ジュエリー作りの環境を考えたまでで、お客様をお迎えするために造った建物ではないのですが。
私のデザインするジュエリーは、「日本の四季の移り変わり」をモチーフにしています。作り手である職人たちに、自然の美しさやはかなさを繊細に表現してもらうためには、本当に自然に囲まれた場所にアトリエを構えることが必要だと思いました。来て1年もたつと彼らの意識はがらりと変わり、今日は何の鳥の声がするとか、桜のつぼみがふくらみはじめたね、とか、自然に敏感になっていきました。
また、現在スタッフは36人いますが、職人や営業担当以外に、食事を作る専門スタッフもいて、毎日皆で一緒に昼食を食べています。ここに来る以前は、芦屋の中心部にアトリエがあったのですが、男性の職人は特にコンビニエンスストアのお弁当や菓子パンで食事を済ませていたので、それではいけないと思いました。良いものを作るには良い食事も大切。ここなら自動販売機もありませんしね(笑)。「環境が人を育てる」と私は思っています。
良いジュエリーは自分で作ろう
―穐原さんはなぜジュエリーデザイナーになられたのですか。
母はきれいなものが好きな人でしたが、特にジュエリー関係の仕事を家でしていたわけではないんです。私はもし仕事をするにしても何か自分の好きなことを仕事にしたいと思っていまして、考えると小さな頃から絵を描くことが好きだったんです。庭石に色を塗ったりして、3歳ぐらいから須田剋太さんの絵画教室に通ったりもしていました。私が絵の具を塗りたくって絵を描いていたら須田先生が「この子は天才かもしれない」なんておっしゃったとか…というのも画材が貴重な時代に絵の具を塗りたくっていたのですからね(笑)。でも絵では食べていけませんから、だったらジュエリーのデザインはどうかと考えました。家に出入りしていた宝石商が、「アメリカにジュエリーの学校がある」と教えてくれまして。父は大反対したのですが、母が家にあった鎧兜を売って学費にしてくれたのです。
留学した学校では、デザインよりもまず『宝石学』を学ばされました。宝石は鉱物ですから、どういう物質で生成されているのかといったことを学ぶんです。するとおのずと宝石の美しい研磨方法やデザインなどがわかってくる。アメリカで宝石を目にして、「本当の技術で研磨された宝石というのは、こんなにきれいなものなのか!」と思いましたね。当時の日本では、きちんとした技術で研磨された宝石など入ってきていませんでしたから。卒業後は日本に戻って、1974年にダイアモンドの輸入会社を立ち上げました。研磨し完成したダイアモンドを買い付けて輸入していましたが、当時は県内ではいちばん大きかったと思います。ところがそのうちに、円高の日本でひどい商売をする人が多くなりはじめまして、良いものを買い付けて売るということが難しくなってきた。そのため私は、「良い材料で良いジュエリーを自分で作ろう」と、アトリエを設立することにしました。1984年に設立したアトリエは一からのスタートでしたが、当時神戸にあったスイスのジュエリー工房が閉めるということで、そこにいた職人を迎えました。彼らを中心に、それから10年かけて職人を育てました。
私はとにかく「良いと思ったこと、正しいと思ったことをする」というのが信条です。アトリエを設立したとき社内では100年計画といいました。つまり、私たちのブランドが認められるのは100年はかかるだろうと。当時、日本国内ではジュエリーにしろアパレルにしろ、外国ブランドの方がはるかに信用がありましたからね。
まず海外で認められなくてはと、香港の国際宝飾展に15年間出展しました。海外で先に評価されたので日本でも扱っていただきはじめました。百貨店などに置いていただいていましたが、売り手の方よりお客様の方が先に認めてファンになってくださったんです。お客様はお金を払って手に入れられるわけですから、目はきびしくなります。私どものブランドの素材の良さ、ていねいなものづくりといった点が、評価いただけたのだと思います。
どこかで妥協するなら最初からやらなくていい、と
―穐原さんはどういった思いでジュエリーをデザインされているのですか。
『失われゆく自然を表現するジュエリー』をテーマにしていますが、お客様には、「楽しく身につけていただきたい」と思っています。デザインはすべて私が手がけています。何人もがデザインしますと、いろいろな個性が入ってしまって、お客様が迷ってしまうからです。私がいなくなったら、後はどうするの、と聞かれますが、ブランドの本筋さえしっかりしていればきちんと受け継がれていくはずです。
ものづくりにおいて大切にしているのは、素材の質と、技術です。質においては、最上質のものしか使いません。技術においては、ギメルでは創立当初から、宝石を大小使ってすきまなくしきつめる「パヴェセッティング」という技術を基本にしています。他にも、その昔、王様や富豪が職人にていねいにジュエリーを作らせていた時代のアンティークジュエリーから学んだ、今では弊社にしかない技術を職人たちに身につけさせています。そのため若いうちに弊社に来た職人にしか勤まりませんね。簡単な技術を知ってしまっている職人さんには、信じられないほど面倒な工程らしいです(笑)。
私は、どこかで妥協してしまうぐらいなら、最初からやらなくてもいいんじゃないかと思っています。
―9月には、名古屋で初の作品展を開催されますが、今後はどのような展開を考えておられますか。
今回の作品展では、弊社の古いジュエリーをお持ちの方からお借りして展示するコレクションも多いので、今回限りかもしれません。でもたくさんの方にギメルを知っていただくきっかけになるのではないかと思っています。
今後は、といっても、私どもの職人が楽しく仕事ができ、彼らの生活が充実していて、またお客様が喜んでいただけるならそれで良いと思いますので、無理やり何か商売を広げることは考えておりません。ただ、50年後も、100年後もギメルというブランドはあり続けたいと願っています。
ギメルトレーディング株式会社
代表取締役
アートディレクター
穐原(あきはら) かおる さん
兵庫県生まれ。1972年渡米。GIAにて宝石学、デザインを学ぶ。1974年大阪でダイアモンドの輸入販売会社、ギモー商事(現ギメルトレーディング株式会社)を設立。1984年アトリエを設けジュエリーの制作を開始。1991年「ギメル」をブランドとして起ち上げる。自然や生物をモチーフとし、選りすぐりの宝石を惜しみなく使ってデザインした製品は、クリスティーズやサザビーズにも数多く出品され世界的に高い評価を受けている