12月号
雑然。混沌。そして自由。 そんなパリの素顔をスナップに
写真家 浜 和幸さん
原点は観光客相手の撮影
フランスに行った当初は2・3年で帰って来ると思っていたんですけれど、もうすぐ42年になります。こんなに長く居るとは思いませんでしたよ。
私は葺合高校の出身ですが、入学式の日にいきなりヘルメット学生が入ってきて、しばらくすると学校封鎖になってずっと紛争でした。でも楽しかったんですよ、授業も試験もないから(笑)。そのままズルズルと3年間過ごし、関西学院大学へ入学したら授業がある(笑)。それですぐ辞めたんです。担当の先生がドイツ帰りの人で、「辞めます」と言ったら、紹介状書くからドイツの大学へ行きなさいと。ところがドイツには入試があるのに、フランスはないと知り、フランスへ行くことにしたら先生にめっちゃ怒られて。苦肉の策として、まずはドイツとフランスの国境地帯のストラスブールへ行って、その後ドイツの大学に行きますと先生を納得させたんです。
ストラスブールで1年半くらい過ごしたのですが、お金がなくなったのでバイトでもしようかとパリに出ました。写真屋に勤め、フランスの職業写真家協会の日本人会員第一号になり、労働許可証も取得しました。観光客相手に写真を撮り、夜にホテルで売ったのですが、ものすごく儲かりました。日本人の団体は全員買うんです。空港とかで客引きをしていたので、気がつけば添乗員やガイドの間で有名人になっていました。
バブルの中で波乱の歩み
そんな時、スキャンダルで経営危機にあった三越が、パリ三越を免税店に切り替え観光客を呼び込む方針に変えたんです。その時に、旅行業界に顔が利き客引きが上手くて、免税店のスタッフじゃない人間をパリ中で探していて、「写真屋の兄ちゃん上手いで」って話を聞きつけて私をスカウトに来たのです。パリに来てまで三越なんて嫌ですから、部長待遇にしろとか運転手付けろとか無茶言えば諦めるだろうとハッタリかましたら、それが全部通ってしまって。
仕事は旅行会社との契約や、VIPの接待でした。当時の日本人はすごかったですよ。「オメガ全部」とか「ネクタイ200本」とか。50人のグループで1千万円近く売り上げる事もあり、今の中国人の爆買いを上回っていましたね。ですから客の取り合いが熾烈でした。その巨大な市場に目を付けたフランス政府が国営の免税店を開店することになったんです。その店長に友人が応募して、その通訳として付いていったらスカウトされて、何度も来るのでまた無茶言ったら、これまた全部通ってしまったんです(笑)。
国営免税店への条件に、私の言うとおり日本的なサービスを採用することを挙げていたのでそれを実行しました。また、運営会社にルイ・ヴィトンの株を買い占めろと進言し、とりあえずエルメスのバッグ全種類を買える店にしました。もともと国営なので酒とたばこはここでしか売れませんでしたし、競争に勝ちかけたんです。ところが…。昔は日本からの飛行機はアンカレッジ経由でした。アンカレッジ空港では行きに注文した商品を帰りの便に乗せるというプリオーダーシステムがあり、国営免税店はその対抗策でもあったのですが、直行便が飛んでアンカレッジでは買えなくなったので閉店してしまったんです。
それで私は脱サラして、通訳と翻訳のほか、成功報酬で「何でもします」という会社を立ち上げたら、無茶なオーダーがいっぱい来たんですよ。日本はバブルの最高潮。シャトーを買いに来るとか、印象派の絵を買いに来るとか、お客は何億という金を持って来るんです。空港への迎えもロールスロイス。こんなに儲かっていいのかというくらいでしたね。バブル崩壊までの数年でしたけれど。
写真が繋ぐ神戸との絆
そこまでは華々しい人生だったのですけど、倒れたんですね。55歳の時に、脳梗塞で。それが治ったかと思ったら今度はがんの末期症状と言われて。闘病中に酒たばこをやめ、とにかく歩きなさいと。それで、歩き始めたんですが、それだけでは退屈だなと。そういえば私は20歳の頃カメラマンだったということを思い出し、写真を撮って、ブログを立ち上げ、一日も欠かさず毎日見たものを写真で発信すると決めたのです。2009年の1月1日に。
それを続けているうちに、葺合高校の同窓生が偶然私のブログを発見してくれて、連絡が来て再び神戸と接点ができました。それから昔の仲間と会いに神戸に来るようになったんです。私の写真を見た友人が尽力してくれて、宝塚と神戸の原田の森で写真展を開催したのですが、原田の森にMint神戸と関係の深い先輩が観に来てくれて、気に入ってくれて、それからさらに広がっていきました。
私は基本、その日歩いて出会った物、人、風景、何でもアットランダムに撮っています。風景写真は退屈だし、エッフェル塔とか行きたくないから、行くのはパリの裏通りや下町ばかりです。辺鄙なところ、あまりきれいではないところとか。そういうところには私がパリに来た70年代の雰囲気がカフェとかに残っているのです。でも最近は媚びて、オシャレなパリも撮らないとウケが悪いと思って狙っていますけれど(笑)、私は汚い暗いパリが好きなんですよ。
写真には私の人生が凝縮されています。恩返しの気持ちも込めて、雑然とした普段着のパリを日本のみなさまに観てもらおうと。それが使命だと思っているんです。芸術作品ではなくスナップですから、いつも展示点数を多くしています。能書き抜きにして気軽に観ていただき、そして、色々な国の人が気ままに暮らしているように見える情景の裏側には、文化や宗教の摩擦などの問題があるという事も感じ取ってほしいですね。
浜 和幸(はま かずゆき)
1954年、神戸生まれ。1974年渡仏。ソルボンヌ大学音声研究所卒業後、パリ三越、パリ空港公団子会社アジア営業部長を経て、現在ジーコム・フランス語学校校長。また、元フランス職業写真家協会(GNPP)会員