11月号
夙川に花咲いたモダニズム建築
“美しさ” に包まれて 夙川千歳町の暮らし
良好な環境こそ、名建築を生み出す何よりの土壌だ。
大正時代より佳良な住宅地として注目を浴びてきた
夙川にもまた、素晴らしい建築が息づいてきた。
かつて、現在の殿山町や雲井町あたりには、関西学院大学や旧居留地38番館で知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築が10棟くらい存在していた。明るいスパニッシュ・ミッションスタイルは、赤松の緑濃い夙川の風景とマッチしていたことであろう。北米系の海外伝道組織、アメリカンボードミッションの住宅は大正11年(1922)に建てられた。宣教師の住まいらしく慎ましい建物であったが、コロニアルスタイルを踏襲し、赤煉瓦の煙突が印象的だったそうだ。ナショナルシティバンクの社宅は支店長宅のほか副支店長宅、経理課用、単身者用の4棟あり、テニスコートを中心にそれらの建物が配されていたという。ヴォーリズの住宅はほかにも阿部市太郎邸などいくつかあったが、現在は姿を消し、彼の精神やデザインを受け継ぐ一粒社ヴォーリズ建築事務所による上田安子記念館がその記憶をとどめている。
夙川のランドマークと言えば、カトリック夙川教会だ。昭和7年(1932)に落成したネオゴシック様式の大聖堂はヨゼフ梅木省三の設計。エキゾチックな尖塔や荘厳なステンドグラスには、まさに美の神が宿っているようだ。
夙川の左岸には、対照的なモダニズムのテイストを持つ2つの素晴らしい住宅が、道を挟んで佇んでいる。
旧山本家住宅は、和と洋を近代的なセンスで融合させた建築。阪神間モダニズム末期の昭和13年(1938)築で、上質の材と上品なデザインで完成度が高い。茶室研究で知られた岡田孝男の作品ゆえ、派手さこそないが粋だ。
浦太郎邸は近代建築の巨匠、ル・コルビュジエの弟子である吉坂隆正の設計。正方形を巧みに組み合わせたユニークな構造で、縦横交互に積み上げた煉瓦の外壁がアクセント。スポット風の照明や雨水を滝に変える庇の穴など遊び心に満ち、ピロティの採用や色づかい、そして機能性に師のエスプリを感じる稀有な建築だ。