2月号
オリンピックを走る
朝原宣治さん(大阪ガス株式会社所属)
―今でも記憶に新しい、2008年・北京オリンピックの100メートルリレー銅メダルですが、朝原さんにとって4度目のオリンピック。挑戦しようとしたのはどんな思いがあったのですか。
朝原 私の中では3回目のアテネオリンピックを最後にするつもりでしたので、正直言って4回目はあまり燃えるものは湧いてきませんでした。北京オリンピック前年の世界陸上大阪大会が最後かな…と思っていました。しかしオリンピックイヤーというのはアスリートにとっては特別な年なんですね。本能というのでしょうか、「目指さなくてもいいのか?」という気持ちになってきました。「私の競技人生の最後にするのが世界陸上でいいのか?思い残すことはないのか?」という思いがだんだん強くなり、もう一度頑張ろうという気持ちになりました。
―リレーメンバーはいつ頃から決まっていたのですか。アンカーを走られたのは何故?
朝原 前年の世界陸上で4人のメンバーはほぼ固まっていて、最終的には、けがや調子次第という状況でした。メンバーはそれぞれ特徴があり、私はコーナーが上手くないということもあり、ずっとアンカーを走らせていただいていました。
―オリンピックには魅力もあり、また魔力もあるといわれます。4大会連続出場されて感じることはありましたか。
朝原 規模が大きな大会といえば世界選手権もありますが、それに比べてもメディアの取り上げ方や国民の期待の大きさが数段違います。それに気を取られることなく、自分の競技に集中できればいいのですが、特に初出場ともなれば、どうしても意識しないということは難しいでしょうね。期待されることで自分を奮い立たせることができる選手はいいのですが、それがプレッシャーになるようなら魔力に陥ってしまうかもしれません。普段なら出せる記録が出なかったり、できるはずのパフォーマンスができなかったりというのが初出場の選手には多いようです。
―朝原さんはどうでしたか。
朝原 私もオリンピック初出場の時は、うれしさ半分、不安半分でやはり舞い上がりました。経験を積みながら克服して、4回目ともなればもうプレッシャーは感じなくなりました(笑)。
―引退後は後輩の指導に努めておられますが、「NOBY T&F CLUB」設立の経緯は?
朝原 現役時代から学校などを訪ねて陸上競技の指導をしていました。単発のものが多かったので、継続して子どもたちを指導できるクラブが欲しいとずっと思っていました。現役を引退する前から、自社(大阪ガス)運動施設の活用が私の業務ミッションだったので現役引退後すぐに設立準備にとりかかりました。
―対象は?
朝原 年齢では、小学4年生から中高生、一般まで、陸上競技を楽しんでいる子どもさんから、本格的に陸上競技をやっている生徒さんまで、幅広い対象です。
―既に成果は出ていますか。
朝原 陸上競技を本格的にやっている中高生の成果は、試合でのタイムに少しずつ表れてきています。ほかの子どもたちは、元気になった、積極的になった、走ることや体を動かすことが好きになった等々。こういうことも成果のひとつといえると思っています。
―奥さまはシンクロの奥野史子さんですが、陸上競技との共通項はありますか。
朝原 陸上競技の中でも短距離と長距離は共通項がないくらいです。まして、陸と水。精神的な部分では共通項はありますが、競技としては全く違いますね。
―それでもご夫婦揃ってアスリート、子どもさんもお二人。一家でジョッギングやスポーツを?
朝原 私は子どもと遊ぶのが大好きですから、時間があれば外に連れて行って遊びますが、家族揃ってジョギングするというようなことはあまりないですね。
―100メートルといえば伊東浩司さん。彼も神戸出身ですが、偶然でしょうか?
朝原 歴代1、2が神戸、しかも北区という狭いエリア出身ですから不思議ですね。ひよどり台と鈴蘭台というアップ、ダウンの多い環境が良かったのでしょうか?因みに、歴代3、4は熊本出身です。
―その後はあまり脚光を浴びる選手は出ていないようですが…。
朝原 私と伊東浩司さんがスゴ過ぎたからかな(笑)。実は10秒0台で走るいい選手が何人かいるんですが、メダルを取るという前例を作ってしまいましたから、ちょっとやそっとでは目立たないんです。でも今年はオリンピックイヤー!そろそろ10秒の壁を破ってもらって、リレーでもメダル争いができるようなチームになってほしいと思っています。
―「100メートルは人間力」とおっしゃっている朝原さんから、若い選手へのアドバイスは?
朝原 100メートルは単純な競技です。けれど単に走ればいいというわけではなく、試合に向かうプランや、継続できるモチベーションンの持ち方など人間の器量が結果に表れる競技です。100メートルを戦い抜くには身体的な能力だけでなく、人間力を併せ持つ努力が必要だと思っています。
―指導されている江里口匡史選手は順調ですか。
朝原 彼は既に世界選手権を2回経験しています。次は十分な準備をして、もうあまり時間はありませんから体調を崩さないようにオリンピックという大舞台で頑張ってほしいと思っています。
―北京オリンピックに続いてリレーには期待がかかりますね。
朝原 そう思います。北京では一人ひとりが力を持った選手が集まり、その力がピタッと合わさりました。そういうチームが今年できるかが勝負でしょうね。
―ご自身の今後の抱負をお聞かせください。
朝原 NOBYの発展はもちろんのことですが、江里口選手をオリンピック選手に育てて、しっかり戦えるようにサポートをしたいということ。もうひとつは、アスリートネットワークの活動を広げていきたいとうことです。種目を越えたアスリートたちが集まり、スポーツを通して子どもたちを元気にしていこうという活動です。現在は関西中心ですが、もっともっと全国へ広がっていけばいいなと思っています。
―日本のトップアスリートとして、後進の指導にご尽力ください。ありがとうございました。
朝原 宣治(あさはら のぶはる)
1972年生まれ。神戸市出身。夢野台高校、同志社大学をへて大阪ガス株式会社に入社。大学3年生の国体100mで10秒19の日本記録樹立。オリンピックには4回連続出場。世界陸上には6回出場。100mの日本記録を3度更新。自己記録は10秒02の日本歴代2位2008年には自身4度目となる北京オリンピックに出場し、4×100mリレーでは、悲願の銅メダル獲得。