2012年
2月号

神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 芸術家女星編 第25回

カテゴリ:, 神戸

剪画・文
とみさわかよの

兵庫県日本画家連盟理事長
山田 美耶子さん

ハイカラ神戸の地にも、日本画は根付いています。2年ごとに行われている神戸ビエンナーレの会場を、兵庫県日本画家連盟の皆さんの作品が飾っているのを、ご覧になった方もあることでしょう。そのリーダーの山田美耶子さんは、様々な画材や技法が乱立する現代にあって、古典的な日本画の手法を伝えることに重きを置く作家です。「基本はきっちり教えます。でも生徒の絵に、手を入れたりしませんよ。必ず自力で仕上げてもらいます」と、温厚なお人柄とは一味違う、かなり厳しい指導法ですが、そんな山田さんを慕う人たちが後を絶ちません。山田さんに、日本画への想いを語っていただきました。

―日本画の道に進まれたのはなぜですか?

 もともと小さい時から絵が好きで、母によると、幼稚園でほかの子がお絵描き帳1冊描く間に、私は5冊描いてたそうです。中学の美術部の先生に「美術大学へ行け」と言われ、京都の大学へ進学しました。勧められるままに日本画を選考しましたが、周囲は皆絵の上手い人、ほとんどが男子で、「なんで女子がこんなとこへ」と言われました。「同じ成績なら、男子を採る。女子は結婚したり子どもを産んだりしたら、絵をやめるから。税金使って教育するからには、続く人材でないと」と、今なら問題になるような発言が、まかり通っていたんですよ。でも絵描きになりたくて進んだ道ですから、なんとかがんばりました。

―様々な画材を多用する現代、日本画・洋画の境は曖昧になっていますね。そのあたりはどのようにお考えでしょうか。

 もともと「日本画」という言葉は、明治に上陸した「西洋画」に対して付けられた呼称です。これだけたくさんの画材や道具が氾濫している時代に、岩絵具か油絵具かと、使用する絵具だけを問題視しても始まらないと思いますよ。伝統的な日本画は、膠(にかわ)で絵の具を固定するのですが、今ならボンドで定着させることもできる。ボンドを使うことを、否定はしません。美術は、いろんなものがあっていい。ただ私自身は、世界でも珍しい、正統な日本画の技法を、後世につないで行きたいと願っています。画材を正しく使いこなす技術も含めて、奈良時代から続いてきた、日本文化ですからね。

―伝統的な日本画の表現は、どういった点が洋画と違うのでしょう。

 日本画の表現の要は、「線」でしょう。太い線と細い線、濃い線と薄い線、速く引く線とゆっくり引く線、それでいろいろなものを表現するんです。学生時代に矢車草を描く時、榊原紫峰先生に「この茎は、水を吸い上げて、この花を咲かせているんだよ」と言われました。そういう茎を、わずか二本の「線」で表わさないといけない。これも学生時代の話ですが、卵をデッサンしていた時、立体感を出そうと描き込んでいたら、先生から「君、卵は白いよ」と言われました。洋画は陰影で表現するけど、日本画は影無しで量感を出すわけですね。古典を踏まえて描く日本画って、とても奥深いんですよ。

―初期の頃は、やはり花鳥風月や草木図、あるいは美人画などを?

 それが若い頃は、岩絵具をたっぷり乗せた、等身大くらいのヌードを描いていたんですよ。まあ、当時の流行で。もう展覧会に、上村松園のような絵を出品しても、評価されない時代に入っていました。「これが日本画なの?」と疑問に思いながらも、出品するからには入選したいし。でも先輩から「我慢してこの路線で行けば、いずれ好きな絵が描けるようになるから」と言われて、「それはない」と確信しました。自分は時流から離れて、描きたいものを描こうと決めたんです。その頃に教員の職を紹介されて、神戸へ戻りました。

―神戸で活動する決意をなさったわけですが、当時は絵を書くなら京都でないと、という空気があったのでは?

 神戸へ戻る時には、「なんで京都で頑張らないんや」とさんざん言われました。あの頃は、京都は文化都市、神戸は文化面では田舎、と思われていましたから…。神戸へ戻ってからは、教員の仕事も熱心にやりました。でも、絵描きになるためにがんばってきたのにこれではいけない、と退職して、今は作家活動と日本画の指導に専念しています。あのまま京都にいたら、今の絵に転向できなかったかもしれない。神戸に帰って来て、本当によかったと思います。

―今日まで描き続けてこられて、作家として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?

 最初に言ったような「男尊女卑」に反発してやってきたところもありますが、絵を続ける女性は、結果として少数でした。私はその少数派なんですが、子育て中はもちろん大変でしたよ。私たち世代は皆、それを超えて来ているんです。育児に追われている頃、恩師から「今の自分を保つ努力をしなさい、上へ行こうとするな」と諭されたのを覚えています。でも描く時間が不足して、デッサン力が落ちると、すぐわかりますからね、悔しいじゃないですか。絵描きは、まず自分の絵を描けないといけませんから、永遠に努力が必要です。だけど、絵の世界ーー表現する世界が好きだから、しんどいとは思いません。しっかりと自分の絵を描いて、そして伝統的な技術も含め、日本画を継いでくれる人を育てたいと思っています。
(2011年12月27日取材)

「若葉の頃」2002年

猫がお好きで猫を描いた作品が多い。愛らしい猫は人気。

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。

月刊 神戸っ子は当サイト内またはAmazonでお求めいただけます。

  • 電気で駆けぬける、クーペ・スタイルのSUW|Kobe BMW
  • フランク・ロイド・ライトの建築思想を現代の住まいに|ORGANIC HOUSE
〈2012年2月号〉
フロントアート
特集 科学するこころは今 スパコン「 京 」K computer —扉
始動! スパコン「京」K computer
「京」から始まる 新しい科学
「京」の中に地球を作る
宇宙で太陽光発電を
地球をシミュレーションする
「京」で広がる化学の可能性
オリンピックを走る
桂 吉弥の今も青春 【其の二十二】
発信!デザイン都市「ものづくりの力」 ー扉
新幹線からビールまで[発信!デザイン都市 ものづくりの力(1)]
文化財の酒蔵でタイムスリップを[発信!デザイン都市 ものづくりの力(2)]
灘酒の中の灘酒 やっぱり俺は…[発信!デザイン都市 ものづくりの力(3)]
さきがける伝統 今なお花盛り[発信!デザイン都市 ものづくりの力(4)]
磨かれたセンスで 酒を、文化を愉しむ[発信!デザイン都市 ものづくりの力(5)]…
北野工房のまちに 各蔵の銘酒が勢揃い 灘の酒アンテナショプ 「灘の酒蔵通り」
「平清盛」にちなんだ日本酒が新発売[発信!デザイン都市 ものづくりの力(7)]
兵庫県洋菓子協会 65年記念史発行記念座談会 次世代のパティシエに向けてのメッセ…
兵庫県洋菓子業界の歩みが一冊に 兵庫県洋菓子協会 65年記念史 刊行
兵庫の社寺に 「清盛茶屋」がオープン
神戸 旧居留地ものがたり Vol.6
くらしの丘名谷 連載第2回
神戸フィルムオフィス Presents 神戸ロケが行われた最新映画情報
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第十四回
神戸市医師会公開講座 くらしと健康 54
田辺眞人のまっこと!ラジオ出張版 「神戸っ子出張版」2
里親ケースワーカーの 〝ちょっといい お話〟
草葉達也の神戸物語
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 芸術家女星編 第25回
ザ・ウエディング プレゼンテーション2012
KOBEアスリートドリーム! 子どもたちの未来へのメッセージ26
働くママを応援♪ママとキッズのイベント開催
浮世絵にみる 神戸ゆかりの「平清盛」 第2回
触媒のうた 12
[海船港(ウミ フネ ミナト)]〝ぱしふぃっくびいなす〟で訪ねた 国境の島・対馬…
神戸牛をはじめ、 特撰和牛をカジュアルに 炭火焼肉Dining ひよりや
1月17日 東遊園地、淡路島、長田など各地で追悼の集い
元永定正さん偲び 「もーやん さようならの会」