4月号
ノースウッズに 魅せられて
フォトグラファー 大竹 英洋 さん
アメリカとカナダの国境付近から北極圏にかけて広がるノースウッズ。
この広大な森と湖の世界をフィールドとして、動物や風景、現地の文化にレンズを向ける大竹英洋さんにお話をうかがった。
満天の星空がくれた夢
もともと東京育ちですが、大学に入って、これまで見たこともない世界を見たいという思いがあり、ワンダーフォーゲル部に入部しました。はじめて山登りを体験し、山の中へテントを持って旅をする中で、人のいない場所、自然というものに生で触れてのめり込んでいったんです。
そして甲斐駒ヶ岳の山頂付近で満天の星空を眺めた時、生まれて初めて360度のパノラマで天の川を目にして、宇宙を肌で感じ言葉を失ったんです。都市では見えにくい世界があることを知りました。
キャンプのシンプルな生活にも惹かれました。蛇口をひねれば水が出てくる暮らしが当たり前じゃないんだなと気づいて、そこから僕たち人間とは何なんだろうという疑問を抱き、人間も自然の一部じゃないかと。ジャーナリストに憧れていたんですが、政治や経済を伝えることも大事だけど、僕がやるべきことは自然を伝えることじゃないかと。
それまで一眼レフなんか持ったことがなかったのですが、自然写真家の星野道夫さん、今森光彦さん、岩合光昭さん、中村征夫さんたちの作品に触れて、自分もカメラを持って記録しようと思ったんです。
夢が固まった時点で就職活動はしなかったですね。だけど全くカメラの素養がないので、誰か尊敬できる人に弟子入りしたいなと。そんな時、オオカミの夢に導かれ運命的にジム・ブランデンバーグという写真家を知ったんです。彼に手紙を書いたのが僕の就職活動でした。このことについては、僕の著書『そして、ぼくは旅に出た。』をご覧ください。
「良い眼をしているね」
結局、ジムから返事が来ないまま大学卒業を迎えました。でもこのまま諦めるのはしっくりこなかったので、会いに行こうと。どこに住んでいるのかもわからないから、会えなくて当然。だけど彼の著作からなんとなくミネソタ州の北の方で撮影していて、イリーという町の近くにいるらしい。むちゃくちゃな話ですが、行けばなんとかなるとミネアポリスまで飛んでイリーへ行こうと思ったら、バスが途中で終わってしまって途方に暮れて…。ようやくイリーに着いたら今度はカヤックを買って、漕いで進むことにしました。彼の著作にあった手描きの地図が結構役に立ったんですよ。
そうやっているうちにジムを知っているという人物に出会って、その人の仲介で憧れの人と会うことができました。
結局、「自然の中へは自分の身一つで入っていくものだ」と弟子にはしてもらえませんでした。だけどジムは「自然の写真を撮りたいなら、すぐにでも撮り始めた方がいい」と、滞在期限いっぱいの2か月半、彼が所有する広大な自然の森にある空き小屋で生活しながらそこで撮影して、ときどき写真の話をしようと言ってくれたんです。弟子として仕事を学ぶことは叶わなかったですが、彼のそばで暮らして写真を撮れて、しかも作品を見てくれるというのは本当に嬉しかったですね。
滞在の終わり頃、僕の写真を見てもらいました。僕は現像された写真を見て落ち込んでいたんです。必死で撮ってきたつもりだったんですけれど、出来上がりが良くなくて。でも、ジムは「良い眼をしているね」と言ってくれたんです。いや、そんなことはない、本当のことを言ってくださいと返したら、「いい写真を撮るには時間がかかるものだ。だから頑張り続ける必要はある。でも〝何を見ようとしているか〟その視点は良いと思うよ」と。それは今でも大きな励みになっています。
彼の撮影も何度か目の当たりにしましたが、集中力の凄さを感じました。生活のすべてを一枚の写真を撮るために捧げている。シャッターを切る一瞬のためにどれだけのお金と時間がかかり、どれだけの計算が練られているか。直接何か教わった訳ではないのですが、彼の姿勢に触れたことは、僕にとって得がたい経験でした。
困難だけど可能性は無限
帰国後はアルバイトしてお金を貯めて、ジムの紹介で知り合った、世界で初めて南極大陸を横断した探検家、ウィル・スティーガーの小屋に通ったり、さらにミネソタで知り合ったカヌーイストの案内でカナダへ入ったり、少しずつノースウッズの世界が広がっていきました。
辺境を飛び回って来たジム・ブランデンバーグが「世界で一番難しい」と評するように、動物は人に慣れていないし、広大すぎて出会うのは稀だし、湿地も多く移動も大変、冬はマイナスの世界、高低差がないから画面の構図も単調になりがち。けれど、ほとんど誰もやってないからこそ、やりがいもあって、自分のフィールドに決めました。
ノースウッズは日本が4つ入る広大なフィールドで、世界最大級の原生林が残っています。チャーチルというところには10~11月にホッキョクグマが集まり、2~3月頃には子熊が出てきます。9月の終わりになるとヘラジカたちがメスを求めて動き始めます。世界最北の砂丘もあります。そういうことが少しずつわかりはじめ、行くたびに新しい情報が入ってきて、あっという間に20年が過ぎましたが、旅をするフィールドはまだまだ無限に広がっています。
自由という旅の魅力
ノースウッズはカナディアンカヌーが生まれた地でもあります。カヌーは担げるようにデザインされていて、湖と湖が繋がっていないところ、滝や急流の地点は担いで移動します。水に浮かべれば櫂一本で自在に移動でき、浅いところにも入れる。そのカヌーに荷物を詰めて、その夜どこで寝るのか自分で決められる。テントを張ったところが自分の家なんです。ほんとワクワクしますね。荷物は重いし、困難だけど、それを越える魅力、自由があるんです。
目の前の湖から水を汲んで、炊事をする。満天の星空、たまにオーロラも出ますから、その下で眠る。山頂を目指す山登りと違って、水平のどこへ行ってもいい、しかもその中へ入り込むことができる。旅の方向も目的もない。もともと標高や難易度に興味のない僕にとってそれがしっくりくる。こんな旅はほかでは味わえないかもしれません。
同じところに行っても、行く度に出会う動物も違うし、季節が違えば目につくものも違う。いつも発見があるんです。
動物は人間と会いたくない
ノースウッズにはさまざまな動物が暮らしています。この前はカワウソと会いました。ヒグマはいませんが、クロクマがいます。人間を見たら近寄ってこないですね。
野生動物は命がけで生きていますから、人間に出会いたくないし、警戒しているんです。実は現地の先住民もオオカミを特に恐れているわけではないんです。僕たちは「赤ずきんちゃん」の刷り込みで、いつも血に飢え人間を襲うイメージですが、オオカミにとって人間を襲うことは命がけ。人間の匂いなどしようものなら距離を取るんです。だから20年も通って6~7回しか出会っていないんです。でも最近ではオオカミの遠吠えをマネして近づこうとしています。見通しが悪い森で、動物をどう撮影しようかと考えたとき、音でコミュニケーションを取っているとわかったんです。腕利きのハンターに教えてもらって、メスの鳴き声でヘラジカのオスを呼び寄せることもあります。
ある時、花の撮影をしていたのですが、機材を取りに行ったとき、獣道にクマが来ていたみたいなんですね。僕はそれに気づかず、向こうがビックリしたみたいで吠えて逃げていきました。自分の存在を知らせておけばよかったと反省しました。
子鹿が教えてくれたこと
どの動物も個性があって、出会い方も違います。だからどの動物が印象に残っているか?と問われると選べないんです。
でも敢えて選ぶならば…ノースウッズに通い始めた翌年の2000年に、森の中で子鹿を踏みそうになったんです。たまたま倒木を乗り越えようと脚を上げたら、そこに子鹿が寝ていたんです。でも逃げないでまったく動かない。ケガでもしているのかな?と心配だったんですけれど、カメラを構えたんです。そしたら目を開けて見つめ合って。後でわかったんですが、生まれたばかりの子鹿は誰に教わる訳でもなく、危険を感じると身を伏せて気配を消して死んだふりをするんです。たぶん僕の足音に気づいたのでしょう。確かに写真の子鹿はかわいいですが、必死に生きていこうとする姿でもあるんです。
この一枚は、僕にいろんなことを考えさせてくれます。森の中には想像もしなかったような出会いがあるということを、狙った訳でもないこの写真を見るたびに思います。知識や経験が増えてくるとなんとなく予測がつくようになり、計画をしてしまいがちです。もちろん、計画しないといけないこともあるんですけれど、それだけにとらわれてはいけない。森の中は出かけてみないとわからないのです。
魅力いっぱいの神戸
実はノースウッズの中核部分が、昨年世界遺産になったんですね。それはカナダで初めての自然と文化の複合遺産で、そこでは人々の伝統的な生活があるのです。すでに始めていることですが、僕はそこの人々や暮らしもより深く撮影したいなと思っています。
また、最近はホッキョクグマの撮影をしていることから、少しずつ北極圏にも興味を抱いています。ノースウッズはライフワークとして継続していきますが、フィールドの範囲が北側へ広がっていく気がしますね。その前にひとつ、ノースウッズを紹介する作品集をきちんと出したいと思っています。
僕が神戸に移り住んで3年が経ちましたが、移動も便利で、本当に暮らしやすいですよ。こんなに晴天率が高くて気候も良いところとは、住んでみるまで知りませんでした。海と山が近く、夏の夜も過ごしやすいです。
あと、街の大きさがちょうどいいですね。最も近い駅は塩屋になるんですけれど、絵画・イラスト・音楽・版画・写真・デザイン・編集など表現に関わる方がたくさん集まっていて、短期間で人の輪が広がっていきました。そして食材。料理は食べるのも作るのも好きなんですけれど、買い物も楽しいです。お世辞ではなく、本当に良い街だと思います。
大竹 英洋 (おおたけ ひでひろ)
1975年生まれ。写真家。一橋大学社会学部卒業。1999年より北米の湖水地方「ノースウッズ」をフィールドに、野生動物や自然と人間との関わりを撮影。「ナショナルジオグラフィック日本版」、「Canadian Geographic」、「たくさんのふしぎ」など、国内外の雑誌、新聞、写真絵本に作品を発表。主な写真絵本に『ノースウッズの森で』、『もりはみている』(以上福音館書店)。写真家を目指した経緯とノースウッズへの初めての旅を綴った『そして、ぼくは旅に出た。 はじまりの森 ノースウッズ』(あすなろ書房)で梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。2018年日経ナショナルジオグラフィック写真賞ネイチャー部門最優秀賞。
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大竹英洋著『そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森 ノースウッズ』あすなろ書房。定価(本体1,900円+税)