8月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉗ マナイタの上で
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
一度目の発作ではまだ安易に考えていた。
毎週の将棋会例会に行く途中のことである。
いきなり胸の中に手を突っ込まれ、心臓の辺りを、雑巾を絞るように絞りあげられた。なんとか歩を進めようとするのだが、あまりにも苦しくて、花壇の縁に腰を下ろした。しばらく息を整えていると徐々に楽になり、やがてなんでもなくなり、また歩いて公民館を目指した。
いつも通り普通に将棋を指して何事もなく帰宅した。あれは一体なんだったんだろう?といった感じである。
その二、三日後のこと。
ホームセンターへ日よけのヨシズを買いに行った。寸法を確かめ、台車に乗せて運ぼうとした時のことである。この前と同じ症状が現れた。すぐに車に戻り、運転席に座って呼吸を整えた。しばらくすると、前と同じく落ち着いてきて、やはりなんでもなかったかのような状態に。しかし、これは尋常ではないと悟った。帰宅して、パソコンで調べてみた。
「狭心症の恐れあり」。
ということで、すぐさまかかりつけのクリニックに予約を入れ受診した。
それからは検査の連続である。
血液検査、エコー検査、24時間心電図検査…。
その間にも何度かの発作があり、処方してもらっていたニトロペン舌下錠で小康を得ていた。やはり狭心症を疑われていたのである。
そして次の検査が、心臓血管専門病院でのCT検査であった。
一週間後、結果が出たので来てくださいとのクリニックからの電話に応じて、自転車で出かけた。悪い予感で胸がドキドキしていた。やがてもうすぐクリニックという辺りで発作が起きた。今度のはこれまでにも増して、強烈に胸が痛かった。幾つもの尖った石で心臓をゴリゴリとこすられるような痛さ。すぐそこにクリニックは見えているのに動けない。苦しい。しかし、とにかく行かなければと、必死でたどり着いた。あとから思えば、バッグの中にニトロは有ったのだから服用すれば良かったのだが、すぐそこにクリニックの看板が見えていたので考えが及ばなかった。
クリニックはビルの二階である。体を引きずるように階段を上がって行った。我ながらバカである。階段のすぐ横にはエレベータ―があったのである。もう何年も通っているクリニックで、今までエレベーターを利用したことがなかった。思いのほかだったのである。
受け付けカウンターに倒れ込むようにたどり着き、「苦しいんです」と訴えた。
すぐにベッドに案内され心電図を取り付けられ、ニトロ舌下錠を投与され、医師の説明を受けた。
CT検査の結果である。冠動脈の一部に狭窄があり、四分の三以上が塞がっているという。だから検査を受けた心臓血管病院で、今度は、カテーテルによる造影検査を受けてもらうようにお話しする予定でしたと。でもこのような状態になったので、すぐに救急車で行っていただきますとのこと。ニトロのお陰で楽になってきたわたしは、この期に及んでまだ、「え?そんな大げさな。家内に来てもらって車で行きます」と答えたものだった。ところがクリニックではすでに先方の病院と連絡を取ってくださっていて、途中でなにかあっては困るので、必ず救急車でと。
ということで、人生初の救急車による救急搬送となったのでした。
結果的にはこれが良かった。踏ん切りがついたし、受け入れ先も準備して待ってくださっており、「これからいろんなことをさせて頂きます」との宣告を受け、覚悟がついた。あっという間の処置だった。
心筋梗塞にまで進んでいたら大変だったが、病名は「不安定狭心症」ということで一命を取り留めることができた。カテーテル治療で済んだのである。
治療の詳細は省くが、ICU(集中治療室)で二昼夜を過ごした。ここの看護師さんには口では言いつくせぬほどのお世話になった。ICUの看護師さんは優しいとは聞いていた。でもこれほどとは思ってもみなかった。こんな汚い爺さんの身体を、少しも厭うことなく優しい言葉とともに世話してくれるのである。わたしにもまだ少しは羞恥心があったが、もう開き直りだった。好きにしてくださいだった。
わたしの担当ナース、Y下さんに色々お世話してもらいながら昔話をした。
「もう60年近くも昔、父は手術のため入院したのですが、その時近所の人たちに『これからマナイタの上に乗ってきまっさぁ』と言いながら歩いて行きました。帰ってきませんでしたけどね」と。すると彼女、一瞬言葉をなくし、やがて「今村さんは歩いて帰れますから」と言ってくれた。
入院九日目の朝、主治医の女性医師、I尾先生がベッドを訪れて下さる。そして「退院おめでとうございます」と言ってくださった。
心電図器を外してもらう。
足首の名札を外してもらう。
やっとただ一人の体になる。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。