11月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ⑱ 編集工房ノア
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
読書は好きだ。読まない日はない、と思う。しかし、朝から晩までずっとということはまずない。来客など、何かの用で中断するのが常だ。
小さな本は別として一冊をずっと読み通すということもそうはない。たいてい途中でほかの本に手が伸びる。わたしは気が多いのだ。いつも何冊かを併読している。
ところが、このほど届いた『遅れ時計の詩人 編集工房ノア著者追悼記』(編集工房ノア・涸沢純平)はわき目もふらず、読んだ。ちょうど定休日の「喫茶・輪」のカウンター席(椅子の具合とカウンターの高さが読書に適している)で、287ページ、一気に読了した。それだけわたしにとって興味深い本ということである。なぜかその日は来客がなく、急用もなく、集中して読むことができた。
編集工房ノアは大阪にある小さな出版社だが、神戸の詩人の多くがここから詩集を刊行している。わたしも2001年に『コーヒーカップの耳』を出していただいた。上品で美しい本づくりをする出版社である。『遅れ時計の詩人』もいたって手触りのいい本だ。
その著者、涸沢純平さんはその編集工房ノアの社主である。いつも小さな笑みを浮かべていて穏やかな人だが、時に眼鏡をキラリと光らせて、有能な編集者の顔を見せる。
長年他人の本ばかりを作ってこられたのだが、このほどやっとご自分の本を出された。その文章はこれまで同社のPR誌『海鳴り』で読ませていただいていて、いいなあと思っていたのだが、やはりこうして一冊になったのを読むと、時の流れの中に身を置くようで感動が深い。
帯文にある。
「全国の地方出版社の中でも少ない、関西で唯一の文芸専門出版社主・涸沢純平が綴る、表現者たちとの熱い交わり模様、亡き文人たちを語る惜別のことば。奥さんとの二人の出版物語。」
ということで、「編集工房ノア」から本を出し、そして、今はない人たちとの濃密なふれあいのことが書かれている。これは涸沢さんでなければ書けない本だ。
ノアから本を出した人の多くをわたしも知っている。たくさん読みもした。登場する人の中にも、足立巻一、杉山平一、伊勢田史郎など、心から尊敬する人たちがある。特に足立先生は何度も出てくる。先生は、ノアの草創期のころから「ノアをつぶしてはいけない」と支援されたのだった。ノア創立十周年の時には次のような呼び掛け文を書いておられる。
不利な条件のなかで、良心の出版をつづけている涸沢純平君の編集工房ノアも、この秋には創立十周年を迎えます。ひそかに応援してきたひとりとしてうれしいことです。ついては苦闘と不屈の業績を祝い、これからの営為をはげまし、大阪・神戸で記念展を開くことを企てました。私の出しゃばりを許し、ご協力いただければありがたいことです。
この記念展にはわたしも出かけて行ったことを覚えている。巻末の略年史を見ると、1984年10月のこと。その翌年に足立先生は72歳で亡くなっておられる。
涸沢さんは足立先生のことを「やさしいおおきな伯父さんであった。」と書く。
足立先生を書いた項目のところだけではなく、いたるところに顔を出す。足立先生の匂いが全編に漂っているといっていい。
ほかにわたしにとって印象深い人(お会いしていない人を含む)のお名前。
清水正一、天野忠、東秀三、桑島玄二、鶴見俊輔、竹中郁、小野十三郎、…。それらの人々が、元気な姿ばかりではないが、活き活きと描かれている。
それにしても、これほど一気に読まされてしまったのはなぜなのだろう。たしかにわたしに縁のある人が多く登場するということはある。涸沢氏の文章が読みやすいということもある。しかしそれだけではないはずだ。考えてみるに、涸沢氏に私欲がないからであろう。少なくともこの本に関する限りまったくない。長年付き合ってきた文人への、尊敬と親愛の念があふれている。さらに魅力的な人ばかりが取り上げられている。ゆえに清らかであたたかな空気が流れている。興味をそそられないわけがない。
あ、そうだ。この本、内容もだが表紙カバーがいいのだ。“蒲鉾屋の詩人”清水正一氏の詩書が飾っている。その字も味があっていい。「雪」という詩の前半部分が書かれている。
雪ガフッテイル
チ
エ
ホ
フ
ソンナオトシテ降ッテイル
清水正一
しん、としていてこの本にピッタリだ。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。近著『触媒のうた』-宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。