10月号

神戸で始まって 神戸で終る 76
展覧会『Curators in Panic 2~ 横尾忠則展 学芸員危機2髪?』に寄せて
現在、横尾忠則現代美術館で開催中の展覧会は、学芸員の「推し」作品が並んでいます。「推される」横尾さんのお気持ちを聞いてみました。
展覧会概要
2021年、大規模な個展のために横尾忠則の代表作200点を貸し出してしまった横尾忠則現代美術館の学芸員が、苦肉の策として企画した開き直りの展覧会「Curators in Panic~横尾忠則展 学芸員危機一髪」は、残された作品の中から学芸員3人が「推し」への愛を語るものでした。その続編となる本展は、当館の全コレクションを対象とした学芸員による総選挙です。
2012年の開館以来、開催された展覧会は40本。これまで様々な切り口で横尾作品に向き合ってきた学芸員のうち、当館と兵庫県立美術館に在籍する5名が、作家にも美術館にも忖度することなく、独断と偏見で作品を演出します。個々の思い入れが詰まったユニークなセレクションから、従来の評価軸を超えたヨコオワールドの豊かさをお楽しみください。
以上の展覧会の主旨を踏まえて、学芸員が企画する展覧会に、当事者の僕が希望を伝えているかどうかという質問ですが、展覧会の内容によほどの差異があれば作家の僕から希望というか注文を出すことはありますが、実際にはほとんど学芸員のキュレーションにそのまま従います。
質問の内容は学芸員との交流を通して、彼等の僕の作品の「推し」について、どう対応しているかということなんですが、まぁ一口に言って僕は、彼等の発想をほとんどそのまま飲み込んでいます。時には展示作品の1~2点の変更を希望することはありますが、ほぼ学芸員の希望をそのまま受け入れています。
作家の中では、というか大半の作家は、学芸員の希望をそのまま受け入れている人はまずいないと思います。作家は作品の創造から発展の仕方まで一貫して、創造行為と考えていることが多いと思います。従って僕のように、全面的に学芸員にお任せする作家は、恐らく一人もいないと思います。会場のインスタレーションから、ちょっとした作品の位置まで、事細かく学芸員に指示することが多く、学芸員は作家の意志に全て従うことになります。
だから僕のような寛容な(笑)作家は、世界中探しても一人もいないと思いますよ。個展でなくても、グループ展の展示作業にまで立ち会って、如何に自作を他者より優位に主張させようとする作家の方が多いことか。というか、それが当然かもしれません。
僕は、そんな面倒くさいことには興味がないのです。僕の主張したいことはキャンバスの内部に全て表現しているので、その作品が如何なる場所に展示されてもキャンバスの内部に描かれた絵は不変です。他の何ものの影響も受けないので、如何なる作品と並置されて展示されようが、僕の知ったことではないと思っています。
このような僕の態度を無責任だと思う人がいるかもしれませんが、筆を置いた時点で僕の作品は完結しているのです。だから作品を取り巻く他の要素の影響はあったとしても、僕はそこまで責任は取れません。ある意味で、作品の完成と同時に、作品は作者の元を離れて自由にひとり歩きをします。作品の解放です。
僕とこのような関係で結ばれている学芸員は、展覧会の企画の段階から自由に発想しているはずです。それを作家が横からワーワー言って事細かく注文をしたり、指示してごらん。学芸員はちっとも面白くないでしょう。でも横尾忠則現代美術館(以下、横尾美術館)の学芸員が、もし他の美術館に移ってそこでキュレーションをすることになった場合、恐らく、横尾美術館のような自由な行動は許されないと思います。
ある意味で横尾美術館は何でもありです。もし、僕が自らのコンセプトによって展覧会を組織するようなことがあったら、従来の学芸員は、たちまち困惑するかも知れませんよ。如何に横尾美術館が自由であったかと。従ってもし僕が学芸員のキュレーションにいちいち口出しをして、彼等の発想案に僕が次々と注文を出すと、彼等は必死になってガードするかも知れません。
そして本来は作家主導で展覧会は開催されるのだが、そのことさえ忘れて、自分の意思を作家によって変更させられたことに驚いて、抵抗するかも知れません。そのために一度、他の美術館で誰か他の作家の個展をキュレーションしてみたら如何ですか。きっと横尾美術館が如何に自由であったかを認識することになるでしょう。そんな理由で、作品の内容の選択に対して、僕はあまり口出しをしません。
学芸員が作家をどう批評するかということが、キュレーションやインスタレーションに表れるのです。僕が自作の個展に対して口出ししないのは、展覧会そのものが学芸員による、ひとつの批評だと考えているからです。「あっ、学芸員は僕の作品をこのように批評しているのか。なるほど」と見るためです。学芸員の批評は、批評文だけでなく作品を選択するところから、どのような展示をするか、その全ての行為が学芸員の僕に対する作家論であるということです。だから下手なキュレーションをすると、疑われるのは作家ではなく、学芸員なのです。それは、入場者の数字にそのまま影響します。もし入場者が少ない場合は、それはキュレーションに対する一般鑑賞者の批評です。そこまで学芸員が考えているかどうかは、僕は知りません。従って展覧会が成功するか失敗に終わるのかの問題は、学芸員の「生き方」にあるのです。

《白浜―喜びも悲しみも幾歳月》2006年 横尾忠則現代美術館蔵

《突発性難聴になった日》2019年 横尾忠則現代美術館蔵

《Milano: 5(西武百貨店)》1980年 横尾忠則現代美術館蔵

撮影:横浪 修
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。

現在、横尾忠則現代美術館では、
展覧会『Curators in Panic 2 〜横尾忠則展
学芸員危機2髪?』開催中です!
横尾忠則現代美術館












