2017年
4月号
4月号
外国人のコミュニティ拠点「神戸外国倶楽部」
フリッツ・E・レオンハート
私の父はドイツ人で、昭和8年(1933)に来日し、機械メーカーに勤務していました。当時、神戸には貿易会社やメーカーに勤める父のような外国人がたくさんいたようです。しかし、戦争で仕事ができなくなり、父はドイツ領事館に勤務し、プライベートで恐縮ですが、当時ドイツ領事館に勤務していた日本人がいて、その妹が私の母になったのですよ(笑)。 話を戻して、戦前は居留地に外国の企業や領事館がたくさんあって、今の15番館あたりに集まっていたようです。
領事館といえば、戦後、アメリカ領事館が東遊園地の南側に来ましたが、そこは神戸外国倶楽部の跡地なのですよ。東遊園地の南に接してKR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)があって、そのすぐ南側に神戸外国倶楽部があったのです。しかし、神戸外国倶楽部は戦時中に海軍に占有されてしまい、空襲で建物が焼けてしまったのです。
戦後、日本に残っていた倶楽部のメンバーや、外国から戻ってきた人たちで倶楽部を再興することとなりましたが、クラブハウスがないので神戸市内のレストランで集まっていましたが、幸いこの土地を持っていたので、アメリカ領事館に売却したのです。その資金で現在のトアロード、かつてのトアホテルの跡地、北野町へと移転したのです。
日本のサッカー、野球は東遊園地からスタートしたといわれていますが、私もそこでプレーしました。クラブハウスを出たらすぐグランドがあり、その東側にはスタンドがありました。クラブハウスも古い建物でしたが、良かったですね。2階にバーがあって、プレーを眺めながら一杯やれたのですよ。
元学校法人マリスト国際学校理事長