2024年
5月号

映画をかんがえる | vol.38 | 井筒 和幸

カテゴリ:文化・芸術・音楽, 文化人

大学ノートの表紙に“1990年1月~”と書いた映画日誌を読み返している。メモに “ベルリンに行きたい。壁は破壊。ソ連はどうなる?共産党は終わりか”とある。冷戦の終わりと平和を実感した年だった。続けて、“『バットマン』(89年)は愉しい”と。年が明けて最初に見たのがこれとは笑ってしまった。さらに記してあった。 “主演のマイケル・キートンは冴えない。少年の時に両親を殺された悲しさがない”と厳しい。でも、どんな映画でも真面目に向き合って観ていたんだなと思う。これを観た動機は憶えている。『イージー・ライダー』(70年)で酔いどれ弁護士を演じ、高校二年のボクに、FREEDOMは法の下のLⅠBERTYとは違い、「自由という権利」のことだと教えてくれたジャック・ニコルソンが宿敵の蝙蝠男と戦うジョーカー役で出たからだ。彼はあらゆる役をこなす怪優だった。日本にこの頃、どんな怪優がいたのか。すぐには思いつかない。ボクが思う怪優とは善人悪人を問わず、生きることの哀しみを表現できる者だ。ジャックはそれを体現する映画人だった。刑務所の重労働から逃れようと詐病で入院した精神病院で反抗ばかりして騒動を起こすチンピラを演じた『カッコーの巣の上で』(76年)もテーマは人間の尊厳と「自由」だった。自由に生きたいのにどうしてそうならないんだよと彼はいつもスクリーンから訴えていた。 “この俳優はやる奴だ。『チャイナタウン』(75年)の続篇はないのか”と記してある。そう思っていたら本当に、その後、『黄昏のチャイナタウン』(90年)で監督まで兼任して、気ままな探偵役を演じた。今は映画に出なくなったが、この閉塞した時代に風穴を開けるような怪演を観たいものだ。マフィアの殺し屋同士が恋をする『女と男の名誉』(85年)みたいな、老やくざの初恋物語をやって欲しい。御年86才と聞くが、タフガイだろうから期待したい。
日誌の1月のページには″『宇宙の法則』(90年)27日土曜、舞台挨拶、有楽町スバル座”ともある。自作の封切り日だったのにそれだけしか書いていない。これは名古屋の田舎の実業家青年から監督を頼まれた作品で、ボクには似つかわしくない家族ドラマだった。実家の機織り屋を継がず、東京に出てアパレルデザイナーになった青年(故・古尾谷雅人君)が父の死を契機に実家に戻って新しい人生を始める話だ。前年の夏の猛暑の中でロケをしたが、青年の兄役に選んだ長塚京三さんとは気が合って、とても撮り甲斐のある現場だった。キャメラマンは早逝した親友の篠田昇だ。パナビジョンカメラとミニクレーンを駆使し、味わいのある画を撮ってくれた。映画は照明用ライト光で正常に感光するタングステンタイプのフィルムで撮るのが普通だが、普通を嫌う彼は「これで一度、冒険させてよ」と言い、太陽光用のデイライトフィルムで撮影した。だから、昼間でも普段の倍の光量が必要で、炬燵を囲む冬の場面では役者たちは毛糸のセーターを着た上に大量のライトに耐えながら演技したものだ。でも、篠田は昼間に目に映るものや景色の色合いをそのまま再現させるためにそのフィルムに拘ったのだ。彼の遺作の『世界の中心で愛を叫ぶ』(04年)はいまだに観る気になれないのだが。
2月に『俺たちは天使じゃない』(89年)を観ている。脱獄囚役のロバート・デ・ニーロとショーン・ペンを相手に、新進気鋭の女優デミ・ムーアは戦前のアメリカ東部の田舎女らしく、脇の毛を剃らずにリアリズムを追求していて感心した。人間味に溢れた映画らしい映画だった。
話は変わるが、先日、広島や長崎の被爆の実態が描かれていないと騒がれていた『オッペンハイマー』(24年)を観た。過去にテレビのドキュメンタリー番組で、ナチスドイツの核兵器開発に焦ったアメリカ政府が実行した「マンハッタン計画」の原爆製造から投下までの経緯は観ているので、他に得るものがなく退屈だった。ボクはあの科学者は戦争犯罪人の一人だと思う。映画では彼がどんな思わくで原爆を製造し、どんな気持ちで日本の街の真ん中に落とすことに賛同したのか、ちゃんと描かれていないのだ。作家の意思が見えない映画ほど退屈なものはない。

PROFILE
井筒 和幸

1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。

月刊 神戸っ子は当サイト内またはAmazonでお求めいただけます。

  • 電気で駆けぬける、クーペ・スタイルのSUW|Kobe BMW
  • フランク・ロイド・ライトの建築思想を現代の住まいに|ORGANIC HOUSE
〈2024年5月号〉
御菓子司 常盤堂|和菓子[KOBECCO Selection]
神戸御影メゾンデコール|オートクチュールインテリア[KOBECCO Select…
平尾工務店|目次[PR]
BMW 駆けぬける歓び[PR]
最高の神戸ビーフ|ビフテキのカワムラ|扉 [PR]
<特集>神戸ポートタワー、神戸須磨シーワールド オープン! ー扉ー
2024.6.1[土]|神戸須磨シーワールド[水族館]神戸須磨シーワールドホテル…
その迫力に感動必至!西日本で唯一、シャチのパフォーマンスを楽しめる水族館 神戸須…
イルカとのふれあいや水槽付き客室、海への旅にいざなう価値体験が満載! 神戸須磨シ…
神戸偉人伝外伝|扉
映画『港に灯がともる』が、神戸にてクランクイン|阪神・淡路大震災から30年目に公…
4月26日(金)神戸ポートタワーリニューアルOPEN!
ビアンヴニュ・大下さんと歩くKOBECCO パンさんぽ|Vol. 14 Alst…
スーパーキッズ・オーケストラ 20周年記念に スーパーストリングスコーベとの弦楽…
KOBECCO お店訪問|entre nousm(アントル ヌー)
Movie and CARS|モーリス ミニ クーパーS
神戸靴|SPIGOLA(スピーゴラ)
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.42 俳優 井…
永田良介商店|オーダーメイド家具[KOBECCO Selection]
ゴンチャロフ製菓|洋菓子[KOBECCO Selection]
ブティック セリザワ|婦人服[KOBECCO Selection]
アレックス|トータルビューティーサロン[KOBECCO Selection]
㊎柴田音吉洋服店|ハンドメイド ビスポークテーラー[KOBECCO Select…
マキシン|帽子専門店[KOBECCO Selection]
マイスター大学堂|メガネ[KOBECCO Selection]
L’AVENUE|パティスリー[KOBECCO Selection]…
亀井堂総本店|瓦せんべい[KOBECCO Selection]
トアロードデリカテッセン|デリカ[KOBECCO Selection]
神戸御影メゾンデコール|オートクチュールインテリア[KOBECCO Select…
フラウコウベ|ジュエリー&アクセサリー[KOBECCO Selecti…
STUDIO KIICHI|革小物[KOBECCO Selection]
il Quadrifoglio(クアドリフォリオ)|ビスポークシューズ[KOBE…
ボックサン|神戸洋藝菓子[KOBECCO Selection]
竹中大工道具館 邂逅―時空を超えて|第八回|九三房の世界 ― 千代鶴是秀の鍛冶道…
神戸で始まって 神戸で終る ㊼ アホになる
レッドロブスター 須磨海浜公園店
YURT(ユルト) CAFE&BBQ PARK
ビフテキのカワムラで 〝本物〟の神戸ビーフを 心ゆくまで
新連載 Vol.1 六甲山の父|A.H.グルームの足跡
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊾前編 大森一樹監督
神戸・阪神間とフランク・ロイド・ライトそして、彼の建築思想を現代へ|平尾工務店
パーソナルトレーニングで 経営者 医師などエグゼクティブの 健康維持をお手伝い …
早逝の女流作家 久坂葉子はとまらない|vol.10(最終回) 久坂葉子・死の謎
映画をかんがえる | vol.38 | 井筒 和幸
連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第11回〜
JCは日本だけでなく、全世界の組織活動を通して、人的ネットワークを「広く」「深く…
3/29(にくのひ)(金)、神戸三宮センター街に兵庫県最大「ユニクロ 神戸三宮店…
ハラミちゃん×KOBECCO 単独インタビュー
今月の映画と展覧会
娘のために、本を書きました。|日本テレビ 映画プロデューサー 谷生 俊美さん
カウンスルNo.3 第13回 高校生スピーチコンテスト
大地の匂いがする画家 中西勝画伯生誕100年|記念館「無字庵」ではスケッチブッ…
ラジオ関西「田辺眞人のまっことラジオ」最終回 4月から新番組「田辺眞人のラジオレ…
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第153回
神大病院の魅力はココだ!Vol.31神戸大学医学部附属病院 循環器内科 川森 裕…
出会いと学びの旅から Vol.05
神戸のカクシボタン 第125回 市街地を眺めながら大人の中華を堪能 『神天樓 M…
連載エッセイ/喫茶店の書斎から96 ドリアン助川さんと
“傾聴”と“伝達”から生まれるコミュニケーション
桜とともに咲く話芸 春の兆楽寄席を開催
有馬温泉歴史人物帖 ~其の拾四~ 赤松則祐(あかまつそくゆう) 1314~137…
ベトナム元気X躍動するアジア 第5回|ハノイ市内観光の穴場?―貿易大学とロッテセ…
六甲山開祖・グルームゆかりの 白鬚神社がお引っ越し
あいまのりすと ~タイムリミット1時間の小散歩~ Vol.5